縁は不思議なもの

縁は不思議なもの。

作家森久美子氏の出版記念祝賀会へ出席させていただいた。森氏以外は全く未知らぬ人たち。でも、いつもと違いそのことが逆に居心地が良いと感ずるから不思議である。そもそも森氏との縁も不思議なものだった。北海道では有名人とも知らず、10年前に何気なく読んだ森氏の小説「背信ー待ち続けたラブレター」の感想文をブログに載せたのが、当人の目にとまり、一度懇談する機会をいただき、楽しい時を過ごさせていただいた。

 http://d.hatena.ne.jp/kimura-gaku/20100301/1267456943

次作「ハッカの薫る丘」でのオホーツクの大地の感想文もAmazonに投稿させていただいた。両作とも、とにかく人間賛歌に溢れていて読後が爽やかなのである。

今度の作品は、ほとんど人間ドラマドキュメンタリー。古民家再生に人生の意味と喜びを見出した棟梁たちの物語。この夏、北海道の高校同窓会で、同期の工務店経営に勤しむ友と逢い、再生古民家に案内されたばかり。倉庫に横たわる古く太い材を見せていただき、「これぞ宝」との熱い語り。再生古民家の庭も見せていただき、これぞ人の求めている時間と自然との調和、と感動した直後であるから、人の縁は不思議なものと思わざるを得ないのである。

この本には実在する九人の主人公が登場する。どの物語が好きかどうかということを超えて、皆、異なる生き様の物語なのである。「疾風勁草」いい言葉をいただいた。古民家再生が全国ネットで大きな流れになり、日本の伝統の民家が、気候風土の異なるそれぞれの地で宝として根づけば、この列島の未来は明るいのではと思える書であった。

 まだまだ続くとのこと。健康に留意され、益々のこ活躍をお祈りします。

人類の未来

このインタビュー記事は、面白いし学ぶべきことが多い。
この中で建築家Bjarke Ingels氏へのインタビューは示唆に富んでいる。
そのまま引用しよう。
ーー
デザイン・プロセスの一部として、「このプロジェクトの目的は何なのか」ということを繰り返し何度も問いかけるようにしています。この繰り返しの問いかけが、チームメンバーの共同作業やクライエントたちにとって、ある種のエネルギーの元であり、継続する学習の元になるわけです。たった一人のクリエイティブな天才がデザインを出す権限を持っているのではなく、すべての人にその権限がある。選択をする際には、なぜこのアイディアを選択して他の選択肢ではないのかという理由や、これがプロジェクトにどのように関係しているのかという全体像を、できうる限り透明で明確にすることが私の仕事だと考えています。これによって、プロジェクトが進行するに従って、誰もがエキスパートになり、このプロジェクトについて確かな決断をすることができるようになります。
ーーーー(p.246)
この原点に立ち戻る視点、肝に命じよう。明日から諸プロジェクトの今年の締めくくりと来年へ向けた会議がめじろおし。

僕らの社会主義 その1:読書の動機

僕らの社会主義 (ちくま新書 1265)

僕らの社会主義 (ちくま新書 1265)

 その1:動機
いや〜、面白かった。
この本を手にした動機をまず記しておこう

 アメリカの学会との連携で2017の学会は史上最大規模となり大成功した。

 しかし、近未来日本社会への不安を背景として、今後どのように学会を進めるか、論が割れている。
「もっと国際展開を、特にアジアで先進的役割を」、と「縮小する日本社会、内部を堅実に」どちらに重点を置くかを巡ってである。

 合同の大会は、通常の大会に比べて、アジアから、世界から千人以上の参加者増で大きく成功したのにも関わらず、何なのだこの議論は? 縮小社会への不安からなのか?

 私は、日本は確実急速に縮小していく社会だからこそ、もっと開いて学界での国際的な人の流れを圧倒的に増やし、それを通じて科学・技術の質を高度に維持するのが戦略の王道だと思ってきた。だから内外のバランスは当然の前提として、強力に国際化を主張し進めてきた。多くの人がそう思っていると思っていた。それは誤解だったのであろうか?

 私の周りの40代前半までの若者(?)にはおとなしいながらも「国際派」が多く見えるのだが、どうも50代以上になると分かれているように見える。

 それは、なにやらベルリンの壁崩壊後に急速に進められてきたグローバル化に対するナショナリズムの対置に対する議論にも似ているし、昨今の国内外の不安定を巡る議論、急速な内向き化にも似ている。

 そこで本書のタイトルに気楽な感じの「僕らの」が付いていて、その後に「社会主義」があることに惹きつけられた。昔のように大上段、大真面目、暗いイメージではないのだ。パラパラとめくると、「主義は病気である」とか、我が高校母校後輩のスーパー芸術家、パリ国立芸術学院教授の川俣正のこととか出てくる。
 最近あちこちで大学が改組され、かつての理学部地学は、工学部土木などと結合されるとかが増えている。その「土木の哲学っぽいこと」なども出てくる。そして何より著者が若い!

 読み始めると、一気に引き込まれた。そして、このような若者(?)なら、未来を託せるかもしれない、と思った。

(続く)

先日の「未来の年表」の感想

 どうあがいても、日本の人口は減ってゆく。もちろん初期条件は現在の出生や死亡統計が根拠。
 境界条件として急激な移民政策を取れば別。不安定な国際情勢で移民政策をどうするかは日本にとっても人ごとではない。
 日本このありさまでは50年後8千万人となり100年後には5千万人台まで落ち込む。
しかし、まさか、そんなことはないだろう。首相だって1億人を維持すると言っているし、少子化対策だって力を入れている。と、多くの日本人は他人事と思っている。

 人口減だけではなく、減ったその半数は高齢者。今世紀後半には放っておくとヨボヨボの国になってしまう。
紛れもない、国立社会保障人口問題研究所2017のレポート!
 

さて、今更、どうする?

我が身はすでに高齢者であるが、読んで、そうか頑張れるかな、と思うのは、高齢者とはまだ定義しないから、働き続けなさい、というところが一つ。

若い中高年が、ブツブツいえば、それでは引退するが負担増はよろしくね、と居直りでもしようかな。それにしても安心して色々任せられないという老婆心。これって急激高齢化社会にまだ皆馴染んでいないからなのかね。ますます高齢化して、その割合は減らないどころかますます増えて、100年は続くのだからね。そろそろどちらも慣れてゆかなくては。と思う。

 それと以下の処方箋の1−9に記された、地方に「知の巨人村」を作るってのはいいね。地方には廃校になった校舎などが大量にある。そこを定年した知識人の持つ書籍などを保管する場、書斎とし、それを年寄り自らが整理整頓に当たる、というアイディアだ。最近流行りのシェアハウスもあり、道の駅のようなところもあれば、少しは活性化できるかな。そのメンテを支える経費を、ふるさと納税から賄うようにすれば、高齢者も静かに余生の一部をふるさとで過ごせる。このアイディア。私は乗るね。メモ入りの本なんて、古本屋に持って行ってもクズだからね。でも死んでも引き取り手がいないことも確かだからね。
ーーーーーーーーーー
本書は4つを提言する。
1つは、どうせ小さくなるのだから「戦略的に縮む」こと。
 その中身は5つ。
 1−1。「高齢者削減」75歳以上に定義を変更。「死ぬまで働け!」昇進が少々遅れるのと負担増とどちらを取る?中高年?
 1−2。24時間社会からの脱却。超便利すぎる世は金も人もかかる。ゆったり社会へ戻れ。
 1−3。非居住区エリアを。わずかのために電線も道路も水道も。もうメンテのための血も出ない。居住区集中サービスと遠隔地居住受益者負担へ。
 1−4。自治体飛び地合併。
 1−5。国際分業の徹底。なんでもかんでも自存自営じゃやってられない。
1つは、「豊かさ」を維持すること。
 1−6。匠の技
 1−7。国費学生制度。大学選別重点配分。
1つは、「脱・東京一極集中」すること。
 1−8。中高年地方移住推進。
 1−9。セカンド市民制度。第2のふるさと、「知の巨人村」構想。
そして、少子化対策
 1−10。第3子以降1000万円給付。






 

未来の年表

  暑さを避けて久々に書店へ。最近は書店も売るのに必死で、ベスセラーコーナーがある。世相のネットメディアにマスコミ自己宣伝も使い自己増殖する本も並んでいるが、それらを押しのけてNo.1はちょっと面白そう。そもそも2冊しかなく、1冊をパラパラをめくって「はじめに」をみてみる。見る間に、若者が手に取り、パラパラめくる。一人が置くと次がまた見る。また若者だ。これは大事な動き。若者の関心を招んでいるらしい、著者は十分に熟年だが。統計確率ベースの議論らしい。

 <「結婚するもしないも、子供を持つも持たないも、個人の自由だ」と語る人々が増え、子供が生まれなくなった行き着く果て-->との危うい単純化に見える因果律言及に、いきなりドキッとさせられる。

 それでも、読んでみようと買うことにした。何せ、日本の歴史上の最大のベビーブーム直後に生まれ、これから「最悪」の高齢社会の担い手で、晩節に当たっての生き様も絡むのだから。

 憶測ではなくデータ分析を厳密に行い政策決定に生かすという手法が先進国をリードしている中、日本の人口政策はどうなっているのか気なるところでもあるから。

 読み終えたところで感想をどこかに記すかもしれない。

讃岐の偉人、南原繁と現代
南原繁と現代―今問われているもの

 南原繁は、戦後最初の東大総長。今手元に数冊の本がある。不思議な出会いだ。私は立花隆氏の著作は読んできた。その中で初めてこの人の片鱗を見て偉大な人であったことを知った。札幌農学校のクラークから大きな影響を受けた「武士道」の新渡戸稲造内村鑑三らから一高(現在東大駒場にあった)時代に薫陶を受けたことも道産子の私には身近に感じさせてくれた。

 その程度の認識で、最終講義のスライドの中に織り込んだ(前回のブログ参照)。ところが縁は奇なものと驚いた。


 私は北海道での博士後浪人生活の後、人生で初めて職を得て四国の高松に赴任した。数年が経ち向井淳彦君という学生が神戸から入学してきた。警察官をやめて、先生になろうと教育学部へきたのだという。目が輝き気骨の塊のような若者。卒業して県立高校の理科の教師になった。高校が近くだったこともあり、卒業研究を論文に仕上げてアメリカの学会の雑誌に印刷となった。私がプレート沈み込み帯を本格的にはじめるきっかけとなった仕事だった。


 随分と時間が経って、彼が、定年に際しての最終講義にわざわざ駆けつけてくれた。風格も立派な教員となっていた。
 彼の方も驚いたようだ。その南原繁の母校、香川県三本松高校(旧大川中学)で教鞭を取っていて、南原繁は郷土の誇る超大物英雄だという。そして母校にある南原繁に関する著作を数冊まとめて送っていただいた。
 
 驚いた!南原のふるさとは香川県徳島県の県境、旧引田町相生。私が香川で穏やかな気候と風土に魅せられ、海に魅せられ、そこにある魚たちと食に魅せられ、夜討ち朝駆けで白砂青松の浜での海つりに凝って高松から勇んで出かけたその地だった!夏には家族を連れて、キャンプまでして海で遊んだ。魚影も濃く、源平の戦では、平家がここまで逃げて湾に隠れ安どしたという安戸池。南原はその地の貧しい家から東大総長へ上り詰めた超英雄伝説の人だったのだ。
 
それだけではない。その南原繁こそ、戦後日本の教育再生の中核にいた人だったのだ!

彼の生きた20世紀、たび重なる激動のるつぼの中で、彼の考えたことから、今こそ学ぶべきことが多いと改めて思う。腰の座ったヒューマニズムリベラリズムがそこに見える。

今だからこそ、じっくりと読んで先人に学びたいと思う。まずは、出会いの報告まで。

5月10:45~11:15 地球惑星科学連合大会「学校教育用語セッション」で招待講演
学術会議地球惑星人材育成委員会委員長職の責務で教育問題で講演をする。

30分も時間をいただいたので、どうするか思案していた。
この際、少々というか、かなり非常識だが、私の個人ルーツや学職歴の中における教育との関わりを交えて話そうと思う。
というのは、高校理科のあり方をまとめた東京大学須藤靖教授の論に「自分の環境や履歴によって、何が重要で、何が重要でないか千差万別である」とあることに勇気付けられた。

それに沿って、課題を提起すれば、言いたいことが見えやすいかな、と思ったからである。
キーワードは、「リベラル・アーツ」と「科学と社会」である。

使う予定のスライドの一部。


私のルーツ。
祖父が、福島県相馬から、二宮尊徳の孫、尊親の北海道開拓の成功物語に強く刺激され、北海道移住。
父は、師範学校から教員へ。終戦。時代と世代の断絶!滅私奉公の教育者はおかしい!




「少年よ大志を抱け!」この開拓者精神はなんだ?クラーク、新渡戸稲造内村鑑三
そして、あの坂本龍馬本家の直系、坂本直行もいる、何なのだこの大学は? リベラル・アーツ。




 日本の地質学は2つの流れで入ってきた。ドイツからナウマン。業界では皆知っている。そしてアメリカからライマン。こちらは北海道を知らない人は知らない。でも最初に地質図を作ったのはこちら。
 この輸入経路の違いは、時の流れを見れば、明治新政府の長州と薩摩の確執にあることは明々白々。
 でも地質学の科学史では深く掘り下げられていない。不思議だ。いやあまり不思議でもないかも。
 自然科学をやっていると社会の流れとは切り離して見てしまうのだ。

そして戦後、リベラル・アーツ全面展開の時がきた。中心に新渡戸稲造の薫陶を受けた、南原繁東大総長がいた。教育に「リベラル・アーツ」の精神注入が始まった。
「リベラル・アーツとは?」と、聞くと「自由芸術?」と答える理学の教授がいたから驚いてしまった。
「自由になるための学・技・芸・術」と理解すべきだ。だって Artsと複数でしょう?と。それが大学教育の本質だと、長年の学職歴の中で理解していたのだが。

こういう歴史を踏まえた、教育に対する主観を述べる予定です。興味のある方はどうぞ。パブリックセッションなので入場無料です。