人間・伊藤教授定年記念

昨日4日、千葉大学伊藤谷生教授最終講義と定年記念祝賀会が開かれた。

題して、

氏との付き合いは、ざっと3つの事柄を通して深まった。私は彼の卓抜した人間性を深く尊敬している。

最初は、1994年、北海道の日高山脈横断地下深部探査。
なけなしの研究費のために、多くの学生を動員し、その調査を成功させた。
氏の研究指導と卓越した組織指導力
毎日朝まで飲んで、学生達を鼓舞激励するための”アジびら”つくり(毎日のニュースのことをそう呼んだ)を任されて、朝配布。そのままほとんど寝ずに探査をした。そんな生活が出来たのはやっぱり若かったんだね〜。多くの出会いがあった研究の世界での一期一会。組織科学における指導とフォローを学んだ。

その時は、私は大阪で教授になった直後であった。
そして、そこでは問題が持ち上がっていた。調査や学会へ出かけるが、国立大学ではそのためにお金がなく、自腹でいっても教育公務員特例法によって、それを公務と認め、事故ある時は公務災害対象となっていた。しかし地方自治体大学ではそうなっていなかった。それは、研究が出来ないことを意味する。私はどうしても納得ができないので教授会で文句をいった。
「それは20年来繰り返し新しく来る人がいっているがどうにもならんのだ」とけんもホロロ。
伊藤さんは知るヒトぞ知るその道のエキスパート。



私は躊躇なく相談した。
そして、文書としてまとめて、改めて個人として正式に申し入れた。その時から三年、大阪を去る年、最初話を持ち込んで冷たかった組合が、ようやくそれを課題とした。そして地方公務員災害認定委員会がその数年後、ようやく回答を寄せ修正されたと聞いた。その際、文部科学省ハンドブックにこのことが明確に記されていること、国家公務員と地方公務員に権利義務において齟齬があってはならないことを教えてくれたのは伊藤さんであった。
いまやどうなっているのか。すべての大学は独立法人となり、公務員ではなくなった。しかし、一方で教員は裁量労働制となり、勤務時間は自分で割り振るようになった。

そして三回目は地質学会。私は会長であったが副会長が伊藤さん。
長い歴史と多くの人の共存で、巨大化した組織はどこでも当たり前のように、小さなことから大きなことまで次々と問題が発生する。私は相対的に短腹なので、時に感情が先行する未熟者。それをなだめすかし、冷静に議論を導く伊藤さんは実にすばらしい。真のリーダーとは同時に最高のフォロワーでなければならないとの”説教”は、私はえらくしみ込んだ。

政治的に、時には意見が異なるが、自分の信念をきちんと貫き、かつ人の意見をも聞き入り、実に巧みに包容する。この伊藤教授の特性は天性か?とよく思ったものだが、そうではなく彼の荒ぶれた人生の中で培われたものであることは間違いない。



最終講義も、それまでにないユニークなもので面白かったが、
その合間に、演奏とソロの歌声(教育学部の音楽の先生)が響くという経験のないもの。

その後のパーティーも含めて、実に爽やかであった。

今後も池袋の大学で教鞭をとりつづけられるという。
益々のご活躍を期待する。