超大陸(2)

本書の中身の逐一は、あえて紹介しないが、私が極めて印象深かったところを私流に整理して記してみる。

さまざまな伝説の中から科学となって行く過程を記しているのであるが、最も重要な事柄の1つは、地質学の科学の方法に関わることであろう。
地質学ではハットンとライエルの斉一主義(ユニフォームタリアニズム)が、歴史の転換点であったというのが20世紀前半までの地質学における科学方法論の基本であった。
これによって著者は地質学が科学になったという。本当にそうか?

斉一主義の中身は、2つの事柄からなる。1つは、現在主義(アクチャリズム)である。「現在は過去を解く鍵」という言葉で知られる。
これは、現在進行形で見られる現象は、過去へ適用できる、というものだ。その本質は、物理化学法則は地球(宇宙)のはじまりより変わらない、ということだ。
こんなこと当たり前ではないかと思うかもしれない。しかし、日本の戦後の一時期、地質学界の一部では、ぶれた。過去において同じ物理化学法則が通用するかどうか分からない、という「とんでも」が目くらましとなる一瞬があった。それが戦後の政治運動と結びついたから始末が悪かった。
また、現在現象に対する研究はもっぱら20世紀に本格化する地球物理学のものであったが、それと老舗の地球科学であった地質学との融合をはかる大学の研究や教育体制の再編にうまく反映されなかった。実はこれらのことが、この国での地質学の意義を危うくしたし、いまだ危ういともいえる。

斉一主義のもう一つの中身は、過去の地質現象は、現在と同じことが同じ強さで過去においても進行した、という斉一観である。
このライエル流の斉一観は、ダーウインの生物進化論(突然変異と自然淘汰)にも大きな影響を与えたが、これはいまではもはや通用しない。
19世紀半ばといえども、地球が何歳かもわからない時であり、当時は、キリスト教世界の「ノアの洪水説」に科学が対抗する上で、この斉一観は大きな力を発揮したのであろう。
しかし、この視点の歴史的役割は20世紀半ばに終わった。
生命科学の「進化」の世界でもダーウイニズムのこの斉一観は今や大問題である。

白亜紀末、微惑星衝突と恐竜絶滅説が定着、その後、地球生命進化のカンブリア大爆発や、大量絶滅事件が次々と明らかになるなか、カタストロフィズム(激変事件)がいくつもあったことが今や明らかだ。それを、ノアの洪水説が復活したかのようなことをもじってネオ(新)カタストロフィズムというがそれも定着した。

では老舗地球科学である地質学は、本当に「科学」になったのか?

(つづく)