オープンサイエンス(4)

論文数の爆発

 読めないほど論文数が爆発的に増えているには理由がある。Googleなどのように全ての情報を補足しようという流れの加速と、それに合わせるように中国国家資本主義の科学技術への集中投資があり、世界の科学技術の全てを補足しようという動きである。加えて学術雑誌を発行する側の商業的戦略として「売れる情報」への投資である。学術雑誌発行がもはやかつての穏やかな紙媒体によって、商売をなす時代は終わった。

 その流れの中で、どうすべきかを問い、行動しなければ巨大な力の前に右往左往し、押しつぶされるだけである。17世紀科学革命、18~19世紀産業革命、20世紀情報革命を経て発展してきた西洋文明社会から昨年来時に声を大にして発信が始まったのが、このオープンサイエンスの理念だ。日本でも超情報社会Society 5.0として未来設計の中核になっている。

 どうやって科学として価値ある論文にアクセスするか、どうやって科学的価値のある論文を発信するか。それを「財を持てるものに独占させる」ことは「真理の探求」「知の蓄積」における自由の理念に反し、結果として科学の発展を妨げることになるのではないかという根源的問いかけが世界で急速に大きな声になっているのである。

 科学における真理とは何か、仮説とは何か、検証とは何か、科学はどのように前へ進むか、ということである。科学においては検証の再現性が、仮説を真実として定着させる上で最も重要な事柄である。そこに「持てる者」の科学以外の理由による抑圧がかかることを最も嫌う。17世紀科学革命は、天動説から地動説へ、「それでも地球は動いている」から始まった。今の科学の現状は、なんども危機を乗り越えてきた科学の健全な発展に重大な危機が訪れているとの認識が世界中に広がっているのである。欧州では科学2020が宣言された。科学論文は全てアクセスフリーとすべきであり、その出版に関わる経費は研究のために財政出動したところがなすべきであり、個々の研究者に負わせるべきではないということである。

 また科学論文は第1次データ、サンプルまできちんとアクセスできることを明示した論文のみを受理すべきであるという宣言である。アクセスフリーであれば、それらのデータを使いこなした「データサイエンス」が草根の研究によって発展する。

 Nature-Springer系列のジャーナルはアクセスフリーには膨大なお金を請求するが、内容的には今年からこのようになった。一方Elsevierの不透明運営は世界中の科学コミュニティーからバッシングを受け、次々と購読中止が相次いでいるのである。

 またデータ+サンプルレポジトリーを持ち、そこにはオープンアクセスできる機関をopen insituteとして認定するとのcommunityの動きも急加速している。

 さてさて、このような科学一般を巡る政治経済動向、その中での自分の専門分野や境界領域における動向も把握しながら、専門における興味と研究を続けたいがために必死にネットにしがみつくことが続く。

 この話題も続く。