オープンサイエンス(3)

論文検索エンジンから論文を何本までの絞り込む?

 さて、検索エンジンから読みたい論文をそもそも何編まで絞り込むか。

 私は学生の時に、熟読すべき論文は卒論では少なくとも50編、修士では200編と言われた。指導がしっかりとされている学生からの間接情報である。専門用語も内容も良くわからない時である。おまけに出版されている論文を読んでまとめても、それは自分が論文を書く時のIntroduction (はじめに)とdiscussion(議論)に使うためだ。分析解析研究の場合、新しいデータによってなされる発見が論文の主役である。

 「博士論文のためにはどれだけ読まなければならない?」それは愚問である。博士論文とは、もう研究者として一人前であるという肩書きの授与であり、今は法的にも全て公開を義務付けられている。本人が自力で意義のある新しい科学的発見をなした、それをきちんと出版したということに対して授与されるものである。十分に課題の前線を理解した上での研究成果でなければならない。

 科学的意義を導入するInrtroductionに、指導教授の研究やプログラムに乗ったある種のコピペや、手法や対象をわずかに変えたルーチンの分析解析研究ではない、独創的なメッセージを埋め込み、そしてそれに対応したdiscussionを展開しようとするとやはり論文の読み込みが鍵を握る。

 そこで、どのくらい読めば良いかが決まる。それまで取り組んだことのない課題を始めようとすると50~200編というのは今も昔も変わらない線であろう。

 そこへの早道は、検索エンジンからその分野のreview論文を探し、かつ引用度数の多い論文を読みこなすことだろう。ある種の統計によると論文をデータまで遡って熟読含味できる論文の数は、寝ても覚めても集中して取り組んでいる研究者でも年間200編くらいだという。1.5~2日に1編という勘定になる。そのような集中はやはり研究に本格的に取り組み始める大学院時代ということになる。その後、研究のみに集中できる職業につき、自分の思いの丈で研究できる人が家庭も顧みずでなければ、常人にはできないであろう。

 そこでどの論文を選んで読むかが、限られた時間で研究成果をあげるのためにも死活問題となるのである。

 ここで検索エンジンの引用度数に頼った方法の落とし穴がある。review論文は重要。しかし、そのreviewは執筆者の視点で書かれかつそこの到達点は、ほぼ一年前だということである。引用度数を参考にするのもいい。しかし、それに頼ることは今注目されているテーマである。それも執筆ー公開ー引用の時間差を考えると引用度数が高いテーマはすでにピークが過ぎつつある、あるいは解決済みである、と冷静に眺める必要がある。

 そこで私の取っている方法を紹介しよう。私はGoogle SchalarとEndnoteを組み合わせている。EndnoteはWordと繋ぐと自動的にbibriographyをジャーナルのformatで作ってくれるので。

 

1。きっとまだ未発見に違いないとの直感から新しいテーマで研究をしようと発想する。

2。検索エンジンでkey wordをいくつか入れてヒット数をみる。タイトルをみて引用の多い方から10編程度はリストに入れる。

3。時代を最近5年間に絞る。ヒット数の多い方からタイトルを見て200編程度抽出しリストに入れる。

4。直近1年間を見る。引用数は無視する。タイトルで引かれたものをリストアップする。

5。以上のリスト抽出で300編程度に絞り込みながら、abstractを眺め、pdfでdownloadできるものはEndnoteのテーマごとのfileに入れる。

6。熟読するものを決める。目も老眼になったので必ずコピーする。孫引き論文で読みたいもの読まねばならないものが膨れ上がる。そこに飛びながらも、浮気ゴゴロを抑えて、熟読中のものに集中する。

7。記憶力が衰え、他事と並行に進めるので、読んだところまでを殴りがきでもいいし、カラー付箋を使いながらガンガン、メモる。

8。他事がありながらも隙間時間ができた時にいつでも続きを再開できるように、コピーは持ち歩く。

9。読み終わった論文は、目も含めて全部、ファイルに閉じておく。定年の時に、それまでの膨大な論文を電子化でもういらない、と処分したが、場所問題がなければやはり紙媒体にはかなわない。小さなメモから記憶が復活することがあるから。

10。論文検索によって追加しながら、熟読を進め、データの吟味を進めながら、研究のoutput(執筆)準備にかかる。Introductionをうまくかければ、discussionのpointが見えてきて、輪郭ができた時には一気がきができることになる。

 

さて、以上の論文執筆過程において、現在のシステムにおいて何が問題なのであろうか。

それは、一口にいうと、財政的に豊かな研究者に圧倒的に有利なシステムであり、自由な発想と研究者の独創によって支えられる科学の発展という根本的な理念と矛盾するということである。

それを考えていこう。(続く)