1Q84

先週衝動買いした本。いまベストセラーN0.1の村上春樹1Q84(上)と(下)」

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 2

彼の作品も知らない「理系バカ」を脱却すべく。


読み始めると、止まらない。
通勤電車、東京駅の歩く間(エスカレータ、歩く歩道)、トイレ、断続的に読み続けた。
昨夜は間違えて通勤快速電車に乗ってしまい、自宅の最寄り駅を通り過ぎ、遥か彼方まで一時間も連れて行かれ、完全深夜帰宅の羽目になってしまった。
「しゃーない、ラッキー」とばかり読み続け、ついに上下とも読了。

村上春樹は、ほとんど同年齢なので、生きて来た時代を共有している。
60年代末の既存の価値観への挑戦から過激な学生運動へ、そして70年代その終焉と挫折、80年代のバブル、そして90年代のオウム事件などなどである。


その時代が過ぎ去ってみた時に、残ったもの、それは10歳の子供の頃の最初の淡い、完全に純粋な初恋の電撃的な思い。繰り返し押し寄せ、どちらの側から見ても思いの残した「純愛」へ強まる波形の同期。そしてーー、運命はーー。人生の大転換点、1984年、それはもう一つの世界の1Q84へ。


サスペンス、猟奇的とも思える性描写、メルヘンの世界とも、SFの世界ともおぼしき情景をハイブリッドに織り交ぜながら、はらはらドキドキと最後まで一気に突き進む。

読み終わった時に、爽やかな読後感と共にこの本のメッセージを深く、繰り返し考えさせられる。


そうか、この繰り返しの余韻を残すことが、世の中に大ブレークを呼び起こした理由なのか?
などと考えてしまう。

ついでに、サスペンス、メルヘン、SF、官能、推理、私小説などとジャンル別に区分する?文学の世界を縦横無尽に行き来して主題を迫るこの「技法」は大変面白い、とも思った。

境界領域を超え、分野を超え、手法を織り交ぜ、新しい自然の実態解明を迫る方法にも似ているかな?と。
文学の目標は、人間理解にあるのであるが。