サリン・オウム15年

昨日は、駒場で開かれている生態学会に参加した大阪時代の学生、いま北海道大学院生の高橋まゆみ君が訪ねてきた。

大宮から、わざわざその友も合流した。

お茶の水へ下って軽く一杯。
近況おしゃべりに花が咲いた。
「もう15年も経つのだね〜」

そう、あれからもう15年にもなる。地下鉄サリン地下鉄事件。今だ3人が逃亡中だという。

私の周辺では、この事件に巻き込まれたりはしなかったが、その一斉捜査の影響は及んでいた。
全国に一斉捜査が掛かったとき、今高知大学の橋本君が卒業研究で和歌山県の山の中を調査していた。
集落はずれの河原にテントを張って、採った石のサンプルをテントの中に山と積み込んで。

そこへ、警察がやってきた。何をやっているのか、不審者捜査である。
「ひょっとしてオウムの逃亡者?」
確かに、河原に定住し、そこで自炊もし、何やらわけのわからないものをテントに集めている。
風呂も入らずに見るからに汚い。
しかし、バイクに乗っているのだからお金がないわけではないようだ。
普通の人から見ると、明確な不審者である。
誰かが、「ひょとしてあの事件の逃亡者ではないのか?」
と通報されても不思議ではない。



事件の直後、お茶の水 聖橋を過ぎて東大へのぼっていく交差点の手すりには、
サリンはオウム」「サリンはオウム」という小さな字のゴム印スタンプが手すりや電柱にでたくさん押してあった。
その後のことである。オウムが一斉に捜索されたのは。
あのスタンプは、オウム内部からの告発であったのか、今は闇の彼方である。

さて、橋本君。
誤解は解けて、以来、地元民にも受け入れられ、彼一流の明るさで楽しくとけ込んだたようである。
見知らぬ土地で地質の調査をする時は、「まずあいさつ」が重要だとの教訓だった。

そういえば、それより10年前、熱帯の「大きな丸い石」のお金で有名なヤップ島での調査の時には、
ふんどし姿の酋長さんに、お酒を持ってあいさつにいったな〜。
女性は「腰蓑」のみのトップレス、男は「ふんどし」のみ。
おおらかな人々だった。

人の土地への無断立ち入りは殺されたって文句はいえないのが世界の常識。
実際にアメリカ西海岸では、スタンフォード大学の学生が調査中に銃で撃たれたりもし、世界に衝撃が走ったこともあった。