エゾの歴史 北の人びとと「日本」
- 作者: 海保嶺夫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/02/11
- メディア: 文庫
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この本を手にしたのは東日本大震災の直後に中学の同窓会に出席のために北海道へ行った時だ。
大地震のために開くかどうか、主催する側で随分と悩んだとのことであったが、こんなときだからこそ開こうと。
私も45年振りの再開で、地震のこともあり、世の中何が起こるかわからず、人生の残り時間も少なくなり、貴重な機会と参加した。
それはさておき、その時に札幌で手にした1冊である。
日本の各地に出掛けた時にその地元に関わる本を手にする事がもう随分と習慣化している。
地震後、忙しく読書もままならない時が三ヶ月以上も続いたが、細切れ読書でようやく読了。
日本海溝の地震・津波、西日本の海溝である南海トラフに関することも考えながら、この本の読書を促したオチベーションはやはり、今回の津波で大問題となっている平安時代の869年の貞観地震だ。その地質学的記録があったにもかかわらず、災害リスクに反映されていなかったという問題。
869年は平安時代であるが、東北地方ではどのような時代や社会であったのか、全く知らないからである。知っているのは11世紀から12世紀末にかけて繁栄した平泉の藤原三代と義経が追いやられて滅亡する事くらいだ。
そういえば、平泉が世界遺産になるかどうかが明日未明とのこと。なるといいね。大昔にいった切りだからまた行ってみたい。
エゾが平安後期鎌倉時代以降頃からエミシにとって変わって使われるようになり、それが東北地方を含む意味から、北海道と限定的にはっきりと使われるようになったのは、江戸時代以降ということが良くわかる。17世紀末のアイヌ民族の大反撃シャクシャインらが鎮圧されてから、はっきりとそうなった。それまでは、なにせ東夷(東の野蛮人)を制する将軍様(征夷大将軍)の相手は蝦夷(エミシないしエゾ)だからね。関東以北、東北から北に住んでいたのは皆そうだったわけだ。頼朝が武家で最初の征夷大将軍だから、滅ぼされた藤原や秋田地方の安東一族はエミシないしエゾだったということになる。血縁的にも原日本人系とのミックスは相当進んでいたというのが本書の推定だ。
歴史にDNAワールドを持ち込むと興味深い事になるはずだ。平泉のミイラは有名だ。
この本の私にとっての改めての驚きの1つは、これまでの日本史において江戸時代鎖国体制の下で、江戸時代の外国へ通路が、幕府直轄長崎、薩摩は琉球、対馬は李朝鮮とのつながりがあったということは誰しも知っていることであるが、北にもう一つの接点があったということだ。それはエゾから同化した日本海側の秋田安東、松前そしてそれらにつながるアイヌの人々を通してという。中国清朝が設置したアムール川(黒龍江)や、満州内部の松花江にまで及んで大展開。江戸でも蝦夷錦として知られる金の刺繍で彩られた絹織物が、昆布やラッコの皮、鮭の干物、魚肥と共に入って来た。司馬遼太郎長編「菜の花の沖」の北前船の背景だね。