万国地質学会議/準備会議

今日午前中は、来月オスロで開催されるIUGS/IGC(国際地質学連合)の総会に向けての対策のための会議が学術会議で開かれた。
このIGC(万国地質学会議)は1878年に第1回がパリで開かれて以来四年ごとに開かれている。

日本の学術会議はこの連合の分担金として400万円払っている。
日本の分担金はランクAであり、ランクAはアメリカ、ロシア、イギリス、日本の四カ国だけだそうだ。
しかし、多くの日本の地質関係者はこのことを知らないのではないか。
拠出にふさわしいリーダシップはとれているのだろうか?

この国際地質学連合への加盟国は今や110カ国以上、すなわち世界のほとんどの国が加盟している。
四年に一度の会議は、いまや科学発展のスピードにあわず、お祭りのようなものである。
必ずしも科学の先端を望んで出席するとがっかりすることがあるかもしれないが、開催地の地質(今回はスカンジナビア)観察は興味深いし、開発途上国の地質学者との関係を構築・蓄積していく上では重要である。

いずれにしても、日本の地質学、地球科学の世界戦略の構築と関係国との関係の強化は急務だ。
参加される皆さんのご活躍を期待しています!

私にとって、オスロは思い出の地でもあり、是非行ってみたかったのだが、あまりにも多い外国出張が重なっているので断念した。


思い出とは、
オスロ1984年夏、スピッツベルゲン島の調査の先遣として一人滞在した。そして6、7、8の三ヶ月、スピッツベルゲン島の調査のお手伝いをした。
話題のP-T境界(古生代中生代境界)調査である。
シロクマにおびえながら、ナチの旧式銃を抱えて、ひたすら地層の柱状図を取った。
完全な白夜、広がる氷河。
その氷河の水で頭をすすいだ。
「うう!イタギモ!」
そして、携帯電話も何もない時代であった。
長女(当時は生まれるまで、男か女かもわからない)の誕生予定は8月初旬。
どうなっているのか気が気ではない。
しかし、つながる術はない。
長女誕生のニュースは、ある日、スピッツベルゲン短波ラジオで突然流された。
ノルウエー語で『おめでとう!」

日本からオスロ滞在の日本人研究者へ。
そしてオスロからスピッツベルゲン基地局へ。
基地局から探検関係者のニュースとして配信された。
時の流れな穏やかな時代、国を超え、言葉を超え、確かな人の結びつきがあった。

その時の喜びは今も忘れられない。
しかし、日本へ帰国し対面したのはそれから1ヶ月以上も後であった。
はじめての女の子に感動した。
昔の調査は、家族からも国からも離れての本格的な探検であった。