サハリン・犬物語(1)出会い

私が犬に対する考えを全く変える事になったのは、いまから11年前のことである。
それは、サハリン島(旧樺太)のための学術調査隊を組織して、島の最北端をおとずれた1997年のことである。
私は、北海道が1億年もの時間をかけて、どのように出来たのかということを研究していたので、その北への延長であるサハリン島にも興味があり、調査の経験があったが、この年、久々に訪れたのである。

そもそも、サハリンへ最初に行ったのは1982年、当時開かれていた日ソシンポジウムへ参加したのが最初であった。
北海道の成立で、新しい話をしている若いのがいる、というので、当時東大地震研究所におられた上田誠也先生が行かないかと誘っていただいたのである。
そのシンポジウムの際に、ユズノサハリンスクの近くの地質見学会が開かれた。その席で、説明をするロシア人に、
「お前の話は古い!どうしてプレートテクトニクスという体系をそこまで無視をして話をするのだ!」
と私は噛み付いた。一緒にいっていたフランス人のローランジョリベ(現在パリ大教授)も一緒に噛み付いた。
私はまだ31歳。若気の至りと言うか、怖いものなしの時であった。
それを見ていた、サハリン地質地球物理研究所の所長が、
「おまえら、面白い!来年も来ないか?」
というので、翌年二人そろって、招待され、サハリン島の調査をはじめることとなった。
その当時、地質関係の調査でサハリンを調査する日本人は誰もいなかった。
政治的に東西冷戦の中、35年もの間、途絶えていたのである。
その時の話だけでも膨大になるが、それはいつかどこかで書こうと思っている。
1982,1983年,1984年、そして1987年にサハリンの南を調査した。
その後、1989年ソビエトは崩壊し、ロシアとなった。
1987年には,明らかにこの崩壊の予兆があり、私たちの調査隊に関わって起こったある事件は、地元新聞のトップを飾った。
それはまたどこかで書こう。
ロシアは混乱し、サハリンも極めて不安定であったので調査は中断することとなった。
その間に、私はカナダへ行ったり、大学も大阪へ変わったり、研究も別の課題で忙しくなっていた。

大阪へ転勤したのは1994年、その翌年の1995年正月、神戸で大地震が発生し、6,000名以上もの人が亡くなった。
私が住んでいた堺市も激しく揺れ、早朝に叩き起こされた。未曾有の悲劇が生まれた事はいうまでもない。
日本ではあまり知られていないが、同じ年、サハリン北部のネフチョゴルフというところでも大地震が起きた。
2000名ほどの小さな村で,1800名もの人が亡くなった。ほとんど全滅である。


そして、その地震は北海道や日本海沿岸部で起こる地震と同じプレートの境界で起こる地震の北への延長部であった。
すでにロシアとなり社会主義国ではなくなっていたサハリンへ、日本からも大挙して調査隊が組織された。
当時、東大地震研究所におられた嶋本利彦氏が、翌1996年、現地へ出かけて調査をした。

その延長で本格的な学術調査隊を組織することとなった。
嶋本利彦は忙しくとても調査を継続できないので、サハリンに詳しいらしいということで、私に隊長をやれとの声がかかった。
そして調査のための経費がつき、1997年夏、サハリンへ再び行くこととなったのである。

私はこの年、三年ほどいた大阪を去り、東京大学へ8月に赴任することとなり、大変忙殺されていた。
しかし調査へ行かねばならない。綱渡りのようなスケジュールを追い、赴任の辞令をもらい、その足でサハリンへ飛んだ。


私は南部は何度も訪れていたが北部はいったことがなかった。
地震の起きたネフチェゴルスクはほとんど北の端に近い。
昔の日本が作った列車に乗り、サハリンの真ん中の北緯50度近くまで、そしてそれから泥んこ道を更に数百キロ、最北の街オハについた。そこから、旧ソ連の大型ヘリコプター(オウム真理教の麻原が買ったあれと同じ型のヘリ)に乗って、サハリンの最北端にある灯台の立つ、小さな段丘の上に降り立った。
強風の吹きすさぶ中で、ヒヤヒヤしながらの着陸であった。
大きいがボロボロのヘリ、激しく揺れるヘリコプター、1983年に北極の地で経験したノルウエーのエレベータのような心地よいヘリコプターとは大違い。
ほとんどパイロットの腕だけにたよったような飛行であり、不安で心拍数があがった。
無事着陸!
日本から一緒の5人、研究所からの案内役と通訳をかねてロシア人のメリニコフ、の計7人が、ゆっくりと降り立った。
メリニコフ氏は、昔私が日ソシンピジウムで噛み付いた人だ。
英語はたどたどしいが、大事な事は通ずる。

「さ!これから1ヶ月、ここで調査だ!」
そこに、灯台で暮らすロシア人二人と犬5匹の出迎えがあった。
犬は久々に見る人間にしっぽを振り切れんばかりに振ってはしゃいでいた。
(つづく)

参考:研究の結果は
http://www.geog.or.jp/journal/back/109-2j.htm
です。