追憶:私とうどんと讃岐(11) いざ!県外へ

讃岐の国のうどんめぐり、地質巡りも1年もすると県内は一巡してしまう。なにしろ日本一狭い県だ(ただし大阪を除く)。
さ、県外へ行くぞ!
地質巡検の定番は、まず徳島県のど真ん中、池田町を通る日本最大のA級活断層中央構造線、そして大歩危小歩危を抜けて高知県へ。
四万十帯まで行く、というのが王道だ。
私は博士課程の3年の時に、わざわざ北海道から遠く四国まで、下級生の学生を連れて一度見に来ている。
その時は、まさか四国に職を得られるなどと思ってもいない。「うどん」にはまるなど夢にも思っていない。
ただ、祖谷のそばには感動した記憶がある。
まして、そのときはまだ、付加体論争にも火がついてはいない。
四万十帯の見所は、遠く中村まで足を伸ばして、竜串の堆積岩を見ることであった。


しかし、もはや世の中が変わっている。
大歩危小歩危の変成岩は、当時フランス学派とイギリス学派で繰り広げられていた「三波川変成帯の変形は右か左か』だ。
そして、四万十帯は、当時高知大学にいた平朝彦氏率いるチームの付加体がねらいである。
陰なる狙い、それは他県の「うどん」はなんぼのもんかだ。
そして、二つ目の陰なる狙いは「太平洋の魚!」
釣り竿を車に仕込み、テントを積み込み、さー行くぞ!

まずは、県内の琴平で朝昼飯!うどん。
当然うまい!おまけに、この近隣の名所は宮武。
http://r.tabelog.com/kagawa/A3703/A370302/37000009/

金比羅参りで全国から来る人を相手にしていたのだから
「次郎長一家の森の石松も食べたんだろうな〜」などと思いを馳せる。

そして、猪鼻トンネルを抜けると、そこはもう徳島の池田の町だ。
もう食べる気もないが、なにやらうどん屋がめっきり少ない印象だ。
そして、高校野球の名門、池田高校のグランドの下で(グランドは丘の上にある)、
「ここが中央構造線の断層崖でね。ほらほら、あそこの家、この断層、またいで立っているだろう。もしこの断層が地震で動いたら、まっぷたつだね」
「ーーーーー???」
「さて、今日は吉野川の河原でキャンプだ!」

学生たちは、
「え??!キャンプ?」
「エ?言ってなかったっけ?」
巡検はキャンプって決まっているんじゃないの?宿に泊まるなんてもったいない。テントなんて2泊分も宿代節約すれば買えるんだし、それで何10泊もすれば巡検なんて、お金かからずどこでも行けるじゃないか!」「毛布もあるし、寝袋もあるし心配ない」「あとはテント張る場所だけ探せばいいだけ」
(私の北海道での常識は、野外の調査はテントか車の中で泊まるというのは当たり前で、それでお金がなくても研究に取り組めて来た。宿に泊まるなんてよっぽどリッチなときだ。)
既に夕暮れになり、あたりはとっぷりと暗くなった。
ようやく、暗がりに吉野川の河原の平らな、おまけに適度の草のある場所を見つけて、テントを張った。
テントの中で、一緒にでかけた学生たちと、酒を飲み、ここちよく眠りにつき始めた、そのときである。
隣のテントの女子学生の一人が、突然、

「ぎゃー!」と大声で叫んだ。
(つづく)