縄文時代

縄文の生活誌 日本の歴史01 (講談社学術文庫)

縄文の生活誌 日本の歴史01 (講談社学術文庫)

講談社ではじまったシリーズ「日本の歴史」文庫版
「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)

「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)

と合わせて読んだ。これも出版がすすめば逐次暇をみて読みたいと思っている。歴史をどう見るかについては議論が尽きる事はない。
このシリーズは教科書的ではない民衆史観ともいわれる視点だ。「教科書史観」「皇国史観」「自虐史観」などに対峙し、「網野民衆史観」とも人はいう。
歴史とは、歴史家の世界観が色濃く映し出されるものだな、とつくづく思う。多様な視点から歴史を眺めてみると面白いというのが私の趣味の視点だ。


第2巻の縄文時代は、考古学の対象領域であるのだが、氷河期以降1万年程度を扱っているので地球科学における地球環境変動史と深く関係する。

氷河時代に日本へ渡って来た原日本人(それ以前の旧石器時代に関しては、現在は、あの世紀の大スキャンダル石器ねつ造事件もあり、現在は白紙に戻った。この著者、岡村道雄も本文庫本においてきびしく自己批判している)。
氷河時代が終わり、暖かくなった日本列島、特に北日本(北海道と東北地方)で縄文人は栄える。暖かさのピーク(6000年ほど前)が繁栄のピークだ。
しかし、再び徐々に寒冷化するに従い、衰退をはじめる。寒冷化に加えて、集団管理のトラブル、集団化による疫病の流布などがあったのではと著者は推定する。
居住の重点は中部および西日本へ移ったらしい。

<感想:これは、なかなか面白い。確かにいまだ稲等の農耕が定着しない時代、木の実をはじめ山の幸は、落葉樹林帯の方が豊かに見えるが、どうなのかな?山林の生態学者に聞いてみたいところだ:私の感想>

寒冷化のピークは二千数百年前、縄文時代の終焉期。そして弥生時代の開始期。

著者の岡村氏は、大陸からの弥生人大量移民説に反対で、少数移民、鉄器などの道具や本格稲作などの文化のみが普及したと見ていて、弥生人は中国での春秋戦国時代から逃げて来た大量難民との見方に懐疑的だ。
しかし、私はこの著者の見方こそ、矛盾すると感ずる。著者は一方でアジア域での活発な交流を強調する。しかし、弥生人としての移入は少数に見たいという。

<感想:この時代の寒冷化が、生きる術、特に食料の確保に多大な困難をもたらした。そして人はそれを求めて、この島でも、そして大陸からも九州、西日本へなだれ込んだ、と見るとわかり易いがね〜。この著書の書かれたのは、2000年であるが、それ以降、急発展した科学、日本人・アジア人のDNA分析は、弥生人縄文人を明確にしたと思う。それに古事記伝説だって無視したもんじゃない、あれはまさに侵入して来た弥生人と現地人としての縄文人熊襲との戦いと見たい、とは素人の妄想か?:>

西日本になぜ縄文人は住まなかったか?って意外と隠れたテーマだ。
当時の食料は採集狩猟。狩猟たって、山には猪か熊か鹿くらいしかいない。日本では明らか漁だ。海の幸。西日本の太平洋岸は、ところが恐ろしいところだ。
100年から150年も経てば南海トラフの大地震津波が襲う(私も研究対象としているが)。ところが当時は一世代が短い。文書での伝承もない。100年も経てば4世代や5世代は過ぎる。大災害は完全に忘れた時にやって来る。海岸に住む人々は全滅だ。

すなわち、人類進化、日本人起源論、日本列島環境変動ー生態系変動進化、大規模災害テクトニクス、文化文明発達史はすべてリンクしている複雑系システムなのだ。それもグローバルに。

考古学のこの巻を読んでいて、少々いらつくことがある。それは年代の精度だ。
解像度が1000年のオーダーなのだ。せめて百年のオーダーにならないと普通の人の生活感覚、人生感覚に近づかないだろう。
私のようにこれまで千万年、億年単位で地球の歴史を眺めていた人間が、こと歴史となると求める時間のスケールが一挙に縮むというのも面白い。
それは、もっぱら年代測定の対象と方法の選定が鍵だ。その分野でも地球科学の貢献はこれからも絶大だ。
切り込め!人類史、考古学かな?

さて、そのうち古気候研究者に議論を振りかけてみるかな?縄文時代と原日本人論でも〜。
初夢の残りかす、でした。