ことばの歳時記ー漢字の読めない首相と私

ことばの歳時記 (新潮文庫)

ことばの歳時記 (新潮文庫)

最近、どこかの国の首相が漢字を読めないという。未曾有を「みぞゆう」といったとか、遂行を「ついこう」といったとか?支持率急落に拍車がかかっている。そういえば、かの人、まんがが大好きだとか。
アメリカでもかの人が、宣誓でfaithfullyとい副詞の文法的位置を間違えたとか。

さて、
私は人の事をいえるような立場ではない。良く間違える。造語を一杯つくる。
学生に,「なんか変、間違ってんじゃないの?」と良く言われる。
造語に対しては、「何が悪い?ことばを増やしてる最前線は若者だろ? <チョー>だとか、<むずい>とか。言葉は時代の反映、いいんだよ通じれば」と居直る。
あまり気にしちゃいない。そもそも、国語は一番嫌いだったし、苦手だった。


大昔、中学で転校し、北海道の奈井江という農村へ移ったとき、作文を書けと言われて、「うへー、いやだー!作文は一番嫌いだ!」と思った。
でも、しゃーない。
その街は全国で一番長い直線道路の周りにできた一本町(一本の道路の周りにちょろちょろっと家があるだけ、西部劇にでてくるようなところ)であること、


http://www.fbc.keio.ac.jp/~endoh/hokkaido/sorachi-shicho/naie/tyukan1998.1.jpg

交通事故で毎年1万人が死んでいること(当時は今よりずっと多い)、北海道は死者数全国一であること、その死者の数は、世界で戦争で人が死ぬよりひょっとすると多いんじゃないということ、それを当時どこかで聞いた事のある「交通戦争」ということばと全部くっつけて書いたら、なんか知らないうちに町のコンクールかなんかで入選とかで、町の広報誌に印刷された事があった。
<きゃー、格好悪いー、ネタ、パクリなのにー!>
と、ちらっとみて印刷された物を丸めて捨てた。

中学の卒業式、卒業生代表で答辞をやれ、と言われて作文をした。
転校生としての気持ちをつづったものを持って行ったら、没になった。
「自分のことをいっちゃー、いかん」
そしてどこからかやってきた、私の文章ではないものを渡された。
「でも、<入学以来、楽しい学校生活>って、ぼくじゃーないんですけど」
<だから作文は嫌いなんだよ〜>
<人前に出るなんて、ただでさえ、いやだよ〜>


この書きなぐりブログも。後から読むと、「てにをは」なんて間違いだらけ。
でも、直さない。それも記録だと。

でも、うまい文章は書きたいな、と思う。
そこで、本屋ブラっと見た時に、昔聞いた事のある、「ことばの歳時記」に遭遇。
日本語の先生、「金田一春彦」著(金田一耕助じゃないよ)
毎日のエッセイーだ。この本は一気読みしないと決めている。
毎日持ち歩いて、気分に会わせてぱらっと見る。

その中にも、書いてある。「最近の若者、漢字が読めない」と。この本の書かれた時代(1965)を見ると、まさに上の写真のごとく我らが少年時代!。
かの首相、私よりもずっと上ではあるが、この本で書かれている戦後のどさくさに育った若者群の一人だ。

さー!大詰め。学生の論文に赤をいれなきゃー!
ことばって難しい!