札幌農学校の忘れられたさきがけ-リベラル・アーツと実業教育

札幌農学校の忘れられたさきがけ-リベラル・アーツと実業教育

北海道へ帰ると、習慣で必ずいくところがある。それは本屋の「北海道の本」コーナー。
北海道の比較的大きな本屋でしか、なかなか手に入らない。
アマゾンで後追いできるが、東京の本屋にはおいていない。
そのコーナーでのそのような本との出会いは、ワクワクする瞬間である。
今回も、5冊買った。
そして、人との約束の隙間、待ち時間、空港での待ち合い席などで読んだ。
ワクワク第1弾が上記。このレアものはだいたい本屋にさえ一冊しか置いてない可能性が強い。今、買わなければ永遠に会えない。
まさに本との一期一会なのだ。

これは、国際基督教大学修士論文が本になったものだ。
そのような本が店頭に並ぶ等、極めて稀だ。
そして、その内容もまた、一気に引き込まれた。
明治初等に、札幌農学校(現在の北大)が作られ、その初代学長がクラーク博士であることはつとに有名だ。
『Boys ! Be ambitious!]のあの人。
マサチューセッツ農科大学学長であった人が肝いりで北海道へ来たのであった。
その時期の6人のアメリカ人お雇い教授の一人であった、J.C. カッターを掘り起こした作品である。また、内村鑑三新渡戸稲造など華々しく飛躍した最初期の学生群の中で目立ちはしないが、クリスチャンリベラリズムを人生の中に実現したかに見える、内田静を発掘したものである。
あの新渡戸稲造は、札幌農学校卒業の後に東京大学へ入るが、そこでの英語教育を酷評している。一方、札幌農学校時代の徹底した全人教育の中でも、特にこのカーターへの評価の高さも発掘し、明治の初頭に札幌農学校にのみ持ち込まれたアメリカの新しいリベラルアーツと実践教育の結合という、それまでの欧州になかった新しい理念にまで踏み込んだものだ。

青春まっただなかの青年たちが英詩に感動し、引き写したノート。その比較検討から、彼らの感受性にまで及んだ考察はまったくの驚きだ。
私は、この発掘にも大変感動したが、この松沢真子さんという女性の修士における資料の分析の深さである。この著者の感受性もまた伝わって来る。

明治の新しい時代に、中央の東京はドイツ、そして全くの新天地北海道はアメリカから学んだ。
それが、140年前にこの国にあった、2つの理想像であり、そのためにそこから多くの外国人お雇い教授たちが来た事は衆知だ。
しかし、アメリカ的理想は、その後の歴史の中で萎んでしまい、ドイツに学んだ中央に全てが統合されて行く。そして結末は第2次世界大戦であった。