末広潔さん壮行会

昼まで、延々と続いた南海トラフプロジェクト会議。
14日の京都入りからはじまり、1週間以上の南海ウイークだ。
アメリカ人たちとも、毎日毎日、良く話し、飲んだ。
でも、会議をしながら、内職で約100頁におよぶ研究の申請書を皆で書き上げた。
それも今日の午後で終了!皆さんの協力の賜物です。

この内職もネット世界ならではの技だな〜。
会議の休みに、「今回はおとなしいね〜。何やってんだ」とグレッグ。
「冗長な繰り返し、枝葉末節時間は、内職時間だよ」私。


でも、昨日は、ドラマ場面あり。
議論で、すぐ挑発に乗るんだから、ドラマ人間模様だ。ディベートに習熟がいるな。
アメリカ人も、日本人も。
「速度はどうなってる!?」
「目標はいくらだ!?」
「なんでそんなに誤差が!?」
「なんでそんなにころころ変わる!?」
「最初から精確な数値なんか言ってない!」
「新しいデータが出るたびに精確になるのは当たり前だ!」

ーー思わず、内職の手を止めて、手を上げた。
「まままー(wait,wait,wait)、建設的にいこうよ〜。皆、死にものぐるいでやってんだから」
(心の中で、ディベートの原則(右頁に書いてあります)って、ちゃんとやろうよとーー)
ーーー
でも、飲んだら仲良くなるから不思議だね〜。
きっと、もう皆、10年以上も一緒にやってて、大詰め。腐れ縁なんだ。
これもドラマ人間模様だね〜。

そして夜、中野の海洋研究所。


なつかしいね。ここも今年度一杯だ。来年、海洋研究所は名前を大気海洋研究所と変えて柏へ移転するのでなくなる。

ここには、大学院時代から本当にお世話になった。
海洋研究所の共同利用は、日本の中心だったからね。プレートテクトニクスで本当に盛り上がった。
共同利用で貰えたわずかな旅費で、津軽海峡を渡って北海道から出て来て、貰った旅費を飲み干したもんだ。
皆若かったからね。
当時の新宿はおまけに平和だったからね。
その海洋研究所の講堂で末広さんが講演した。

海洋研究所元教授、現海洋研究開発機構理事の末広さんが、5月から統合国際深海掘削計画のプレジデントとしてアメリカのワシントンへ赴任するのを祝っての講演会と壮行会。
「落下傘で乗り込むような決意です」と決まった直後に語っていた。
私たちは全面的に彼を支えなければならない。日本の真価が問われるからだ。

末広さんと本格的に知り合ったのはもう20年以上も前の1986年、白鳳丸の航海で1ヶ月一緒だった時。
ヤップパラオの島々周辺を調査し、フィリピンのセブへ入航することとなった。
しかし、なにやら国が騒動らしい。港に入る事ができない。
マルコス大統領という長年の大統領とアキノという女性大統領が二人とも当選宣言したから大変だ。どうも不正があったらしい。
アキノをマルコス側が認めず、クーデターが起きてるらしい。
それに対して民衆が一斉蜂起、戒厳令がでているという。

「入る予定のセブにいま、アキノがいる!」「戒厳令を無視して人が街にでている!」
実はその模様を時々刻々、皆に伝えているのは、ラジオを聞きながら同時通訳をする末広さんだったのだ。

「なんて、すごい人なんだ!」
というのが最初の出会いだった。


変わらんね〜。その鋭さと爽やかさ。
実は私は同じ歳なのであるが、まるで頭の出来が違う。

ちょっと抜けて、一服。「お!もう吸っちゃった?」

うう!この通路も最後かな〜。

壮行会の贈り物は本人希望により、
失われた時を求めて」全巻だという。
末広さんらしい。

末広さんの健闘を祈って万歳三唱!

「ワシントン、遊びに行くからね〜!」