漢字をめぐる議論

私たちが漢字の浸食・侵食をめぐって議論をしているが、今、実は漢字の見直しを巡る歴史的なまっただ中であることを本日放映のNHKクローズアップ現代で知った。
http://www.nhk.or.jp/gendai/
「読むこと事ができる」と「書く事ができる」の一致を求め続けて来た歴史が、やはりワープロコンピュータ時代に入って、完全に世界が変わったという井上ひさし氏。枝葉末節な漢字教育が破綻しており、全てを統一しようなんて無理で農業は農業用漢字、漁業は漁業用漢字と多様化を認めるべきだという。

全く同感だ。
「これからは読む事ができる」と「手で書く事ができる」かの統一ではなく、「キーボードで打つ(選択する)事ができる」かが大事だと言う。

その通りだ。では読む事ができるとは何か?
それは音として発音できるということだけではない。
まさに漢字の示す”意味”を理解できるかどうかである。
番組ではその点(読むとは理解する事も含む)を明確にする事にかけていたように思う。
NHK的両論併記であった。

番組の中で、”例えば「憮然」は本来「心をなくす状態→呆然とする」という意味だが、「ぶ然」とひらがなで教えることで「むっとする」と勘違いしてしまうと訴える”(HPより)。音だけで勘違いされているが、こころの状態を表すことが漢字の意味を知っていれば、直ぐに分かる事だいうコメントはその通りなのだ。

私は、「混乱しているが現状を追認した方が良い」とするという現場教育界の意見は一層の混乱を助長するものであり、いまだからこそ「漢字そもそも論」に立ち返るべきという国語学者たちの意見が正しいと強く思う。

ますます、「侵食」ではなく、「浸食」とすべし、と改めて思っている。