再び三たび、浸食vs侵食

先週の土曜日、たまたまの偶然(ではなく同級の外崎君の仕掛け)、中国から仕事で日本へ来ている楊光さんが同窓会後の飲み会へ合流した。

議論調査中の浸食vs侵食について聞いた。

浸食の発音は,jin.このiの上の点は右下がり。それに対して侵はgin.上の点は、点ではなく水平なバーである。
中国語は、4声といって、音が尻上がり、尻下がり、同じ高さ、そして上がって下がる山形、という4つのメロディーがあることは良く知られている。だから音楽なのだ。そして、同じ音に対応する漢字は、多いとはいえ、日本語に比べたら少ない。
この音、そして熟語という選択肢の中で相当する漢字は限定される。

中国では、侵食は目にするが、浸食は見た事がないという。
そりゃー、そうだね。音が限定されているからだ。

そこで意味的問いかけをしてみた。
私「水が帚で掃くのが、浸。人が帚で掃くのが侵食でしょ?」
楊「その通りですね。でも砂漠が緑をシンショクする、は侵食ですね。又は手なんですか?知らなかった。詳しいですね」
私「実は、日本では<浸食>も使うんです。そしてどっちが本当なのだろうか?というのが議論になってましてね〜。」
私「今から140年ほど前に、日本が西洋から科学と地質学を一気に導入した時に、多くの専門用語を漢字に直したのです。そしてその多くがその後中国へ輸出した。どうもその時に混乱があったかもしれないのです。この言葉もその一つではないかと。漢字本来の意味は、浸食の方がいい。水に浸るようなことが起こって、やがてある領域やものが他を食い尽くして行く現象だからです。侵は「侵食」のみが自然現象も含み、ほかは全部人間が絡んだ侵入や侵略などということばなのです。そこはどうですか?」
楊「そうですね。浸水とかですね。他の水が絡むような自然現象への言葉は確かにみな<浸>ですね」
私「日本では、浸食も侵食も音は同じで、区別はありません。日本での翻訳時に最初は浸食だった。それを誰かが侵食と間違って書いた。それが中国へ輸出された。中国では、侵食の音は浸食と全く違うので侵食として定着した。という仮説が成り立つのかもしれません。」
楊「そうですか?日本から専門語を輸入したことは知りませんでした。」
私「毛沢東が主導した簡体字促進が更に、混乱を助長したというのが私の意見です。結果として、漢字の意味、その西洋にはない漢字のアイコンとしての瞬間情報伝達機能を混乱させてしまった。漢字を多すぎるのは問題だけれどね。」

毛沢東がって話になると、廻りの仲間もピリっと気にし始める。
私<え!私が非難しているように聞こえて、まずいかもって気にしているのかな〜?>と、空気を感ずる。
楊「私の生まれるずっと前の話ですのでーー。いいんじゃないですか?どっちを使っても。それは個人が判断すれば」
私「そう、その通りですね。文化とは自由の許容が大事ですね」

ってことでした。


その後、いろんな話。
楊さん「私は中国は連邦制がいいと思うんですよ」<きっとチベットだ、天安門だと、水を向けられる事が多くて苦労もあるんだろうな〜。つい先頃やっていたNHKドラマ「遥かなる絆」の逆のパターンだからね、中国の人が日本にいると。>と思う。日本と中国の網の目の架け橋を期待するばかりだ。

81年生まれの若さなのに「凛」としてしっかりしている。おまけにさすがに日中比較文学を大学でやったという。こういう若者が未来をつくる。今度はその研究材料にしたという「源氏物語」について議論してみようっと。その前に私は理系バカで読んでいない!
読んでおかなきゃ。