つづく激震:刷新会議事業仕分け

本来的に政治的な事柄が嫌いな自然科学者(私も含めて)たちが、次々と声を挙げ始めている。
この声を挙げるに当たって、時間が限られる中で、メイルで会議で様々な意見が飛び出す。時に感情も高ぶり激論となる。
この間、マスコミに登場した政治家を始めとする人たちに対しての一言片句を捉えての個人攻撃も起こる。
その逆に賛成意見ももちろん出る。

そのような場面に遭遇した時に、感情に走っている部分を差し引いて、私はいつも思う。
「ああ、この言い分も分かる、一方のこの言い分も分かるーー。どうしたらいい??」
自己の利害を前面に出して、あるいは大義だけを前面に出して、主張できる人がうらやましくもある。
その狭間で思い悩む。私も考える。そのような場面では優柔不断となり、どちらから見ても歯がゆくもあり、日和見にも見えるであろうと思いつつ、仕方がない。

今回のように、世論が事業仕切りの新鮮さに沸き立ち、そのような中で声を挙げる事は大変だ。
政治に否応なく巻き込まれることとなる。

安易な反対は、所詮「関係する科学者のエゴ」でしかない、と一蹴されて終わりとなる。
しかし、それを恐れて、声を挙げなければ、消えるしかない。
研究活動をストップせざるを得ず、はなはだ苦しい。
今、多くの研究者が、そのような場面に直面している。特に若者は自らの将来がかかっており、深刻な状況にある。

すべての意見に共通項がある。出口はさておき、「このままではいけない」ということである。
その共通項を引き出し、全ての人に出口を探すさせる事が今回の最大のネライであるのかもしれない。
だとしたら、それは悪い事ではない。
いまのところ、相当に乱暴な手法に見えるのであるが。

だから連合のメッセージに次の一文を冒頭に入れる事に皆、同意した。

「透明性を確保し、意思決定過程をつまびらかにしつつ、予算編成を進めるという手 法は多とするところであり、正しい判断がなされるならば極めて有効なものとして 機能すると期待するところであります。しかし、拙速にことを進めると、判断を誤 り、資源のないこの国の根幹を支える科学と技術の将来に甚大な被害を及ぼし、再 生不能の危機に陥ることとなります。」


ここ一週間は、そんな日々であった。まだまだ続く。

さて、個別具体的な事業をめぐる議論は、さておき、全般的なことを整理してみよう。

科学者に対する言い分、批判。
「専門用語を羅列するだけでは、一般の人には意味が分からない。意義も分からない」
「そもそも博士という人たちは視野が狭く、専門○●」
「説明責任を果たさず、重要だと主張されても理解不能
「そもそも、自分は全てを知っているかのように、居丈高に価値を押し付ける」

「科学だけが聖域ではない。国民はもっと苦しんでいる」
「それにしてもお金がかかりすぎではないのだろうか、余裕があるから不正使用の温床となっている」
「そもそも透明性に欠けている。一円まで何に使っているかを公開すべきだ」

他にまだまだ、あるだろう。いくらでも出て来る。
これらに対して、真摯に耳を傾け、科学者の側がきちんとすることはとても大事な事である。

ちょっと時間がないので、

あとでつづきです。