発表会の代理戦争

様々な締め切りが山を越え、後は結果を最終的に承認する会議が残されるのみとなった。
いつものことであるが、そこには様々なドラマが垣間見える。

卒業論文修士論文がこの間の山であった。


発表会の質疑応答に、教員が代理に答えるということは、随分と減った。
これはよいことである。教員が「代理戦争」をしてはならないからである。
指導する側から見たら、質問されたことにうまく答えられない学生はふがいなく見えるかもしれない。
しかし、それでいいのである。
理想型は、質問教員と学生がバンバン、ディベートすること。


答えられなかったということに気がつき、その悔しさが当人の胸に深く刻まれることで将来へつながるのである。
指導する側には、そういう場面での忍耐が求められる。
それを代理に答えてしまう、あるいは答えられなかったことをなじってしまうと、2重3重に当人が再び立ち上がる上で益にはならない。
多くの人が参加する公開の発表会で、公然となじるというのは最悪である。
「自分が招いた恥」、その悔しさは、自らただせるが、「人前でかかされた恥」のダメージは大きく、「悔しさ」は「恨み」で曇る。


若者は驚くほど柔軟であり、再生力がある。そのことを強く信ずる。それが指導する側には強く求められる。
多くの質問は、極めて合理的である。
学生の側はその場で答えられなくとも深く肝に銘じて反芻し、後にその人のところへ出かけて議論を申し込むぐらいの気概が欲しいものである。
必ずや儲かり、研究のいい仕上げにつながるはずである。


なんちゃってね。
偉そうに云ってるが、これらは全て私のこれまでの反省と年寄りの戯言。
とにかく一区切りついたら、パッといこうパッと!
明るいメリハリが大事!
失敗は成功のもと。