三寒四温の晴れ間/神田明神

新学期がはじまり、一気に時間が枯渇しはじめた。
ブログ更新もとぎれるほど。
肌寒いが晴れ渡る今朝、うぐいすのホーホホケキョが響いいている。
さて、すでに数日が経ったが、5日の日は20度を超えた日。
桜は満開を超え、一斉に散り始めた。
「この時しかない!」と、その朝、大慌てで大学近くの神田明神へ!
車を横付けし、5分間観光スナップ






幼稚園児がやってきた。
皆で記念撮影。

「1たす1は〜」
「にー!」

<おお、最近はそうやって笑顔を撮るのか! もはや「はいチーズ」の時代じゃないんだ!>
可愛さに、こちらも顔がほころぶ。しばし見とれる。
「あの〜、すいません。ちょっとよけていただけますか」
「ああ、すいません」

お江戸の北の守り神、明神様にあやかって、今年度も頑張りたいもんだ。

ここには「平の将門の首」を守り神として祀ってあるとか、近くの湯島天神には「天神様すなわち菅原道真」の怨霊を祀ってある。
受験シーズンにはそこは満杯となり、正月もこの2つの守り神は人で溢れる。
鬼門、北の守りは、恨みの強い怨霊を祀るというのが、日本の宗教。
人間界で強い恨みで殺され死んだ人は、あの世では逆に人間界を護る側になるというおもしろいバランス感覚。
「日本の宗教は死んだら皆、良い神様になるのだ」といっても、どこの国の人も理解不能の文化。
私はそんなもんはもちろん信じちゃいないが、庶民にとってはいくら文明化してもなくならない迷信。しかし、こころの拠り所。
啓蒙思想的非合理、合理では割り切れないのが人間。だから芸術があり、宗教があり、人々にこころの安らぎを与える。

そういえば、2月にアメリカで行われた研究会のとき、Keling Wang(カナダ人となった中国人研究者。彼は中国やアジアの歴史にも詳しい)とお酒を飲みながら、話になった。
彼は「日本の天皇って、中国の王と違うね。歴史においてほとんど権力を持っていないんね。中国の王は皆権力の中心で、だから次々と殺し合い、奪い合った。日本の天皇は権力を持たないから1000年以上も続いているんだね〜」
「そんなきれいな歴史だけとは限らないと思うよ。権力闘争になった時は、骨肉の争いとなり、国が乱れた。人の世界は皆同じだ。しかし、面白い宗教観がある」
といって、「怨霊=神」思想を説明した。
彼は、「へ〜、それは面白い発想だね」と。

外国人とつきあう時は政治や宗教の話は一般的にはタブーだというが、私はよくする。
それぞれに特別な強い考えがあって、それを戦わせようとすると当然ケンカになったり不愉快になったりするだろう。
しかし、いつもそれぞれの見方、考え方には違いがあり、全てを客観的に眺めれば学ぶものが多い。

ところで、神田明神下の銭形の親分ってどこに住んでいたのかね〜。
どこかに一文銭でも落ちてないかな〜。
落ちているのは、桜の花びらばかりなり。

今日も、講義が2つ。
さ、頑張らなきゃ!