科学・技術による力強い日本の構築 ー(3)多様性と「知の連山」

討論の中で、政府の科学技術政策をどう評価するか、というところからはじまった。
事前にアンケートがとられていて、評価するとの学会が1つだけあったが、多くは「どっちともいえない」ということであった。
私は、学会としての意見ではなく、個人の意見として「評価できない」と申し上げた。
それは、以前にも記したことであるが、こんなにも科学戦略の構築が遅れ、一方で経費節減の下で、カットすることだけが先行しているからである。
第四期科学技術基本計画作成作業がすすんでいるが、その実効性は分からないからである。

この議論の中で、マスコミの方から、意外とバラバラであることなどが不思議に思ったのか質問があったりしたが、この会議は討論の場であり、当然にも意見の多様性を前提としているのである。反政府決起集会ではないのである。どのようにとらえるかという多様性の中に一致点を模索するのが本質だからだ。

事前のアンケートと討論をふまえて、声明が出された。
http://www.jpgu.org/whatsnew/100428sympo.pdf

このアンケートと声明作成過程で、私は理系行政官の採用の重要性を特に御願いした。
中曽根内閣の時に博士を先進国並みに増やすと政府が宣言をし、大学の重点化がはじまった時に、全国の研究者は大変意を強くした。
それは研究者が増えるということだけではない。中曽根氏自身が、国際社会で見た時に名刺交換でPhDとMrではあまりにもかわいそうだ、ということを述べ、国際社会で活躍する役人は皆、葉博士となるのだ、という明るい未来が見えていたからである。
しかし、その後の経過で、そのような措置は、法律や外交などの分野に限られ、しかも採用した公務員を外国の大学で学位を取らせるものであり、理系の行政官は放置されたかに見えるのである。一方国際社会は、事務系の行政官であろうと、理系の行政を行うお役人は皆、理系のPhDを持っているのである。日本の役人は最大3年で変わる。一方欧米のお役人は長年その分野に張り付き、新しい院生やポスドクに至るコミュニティーを熟知している。逆に研究者コミュニティーはその役人を熟知している。だから行政と研究者コミュニティーの間のコミュニケーションはスムースであり、また研究社会からマスコミや政治へと巣立ったPhDとも強いネットワークを形成するのである。
しかも、アメリカは特に利益相反(Conflict of Interest)に対する取り扱いは徹底しているから、そのネットワークがおかしな談合や人脈で決まってしまうことはなく透明性を徹底するのである。科学と社会の健全な関係が構築されているのである。

理系行政官増加はなぜ実現してこなかったのかについては、勘ぐるに、霞ヶ関の中ではポスト1つに至るまで、どこがハンドリングするのかが決まっているやに聞く。
そこのポストは厚生労働省、そこのポストは農林水産省、そこのポストは○●省ーーー。そして、2〜3年ごとに次々と渡り歩いてステップアップしていくのである。
その大きなシステムの中に、理系のかつ博士を持った人材を採用する新しいシステムは入りようがないのである。行政官の中の技官だけがかろうじて少しずつ博士に開放されてきたのである。それも最初は任期付の見習いとして。

私が強く願うのは、事務職である。これは大幅な公務員改革なくしてできない。なにしろ既得権益の文系事務官を押しのけるのであるからである。
公務員採用を半減すると宣言した鳩山首相であるが、科学技術関連部門の行政官はこの際、理系博士に置き換える施策を講じて欲しい。政治主導を詠う現政権でなくしてはできないことである。

声明の中の、「過度の選択と集中」から「広い裾野を持つ、知の連山へ」は、全ての学会が強く一致した見解である。裾野のない高い峰は容易に崩れ落ちるのである。

(つづく、次回最終回は第四期科学技術基本計画素案を紹介された相沢議員の講演への感想です)