学会ってなんだ?(1)

地球惑星科学連合が来週からはじまる。学会関連のお世話をするようになってからもう随分になる。
時間も取られ、その分、研究もおろそかになり、やりたいことが山のようにあるのに、どうしてやらずにはいられないのか?
そのような自問自答を記してみようと思う。

私がはじめて学会の仕事に絡んだのは、博士課程の2年の時だから、もう30年以上前になるだろうか。
当時の地質学会では、大学院生の評議員の席が設けられて何年か経っていた。
当時の大学では院生会の活動が活発で、博士課程のある大学ではどこでもあったと思う。
会では、院生の身近な生活の問題や、研究に関する悩みをお互いに相談したり、共にレクレーションをしたりする貴重な場になっていた。
特に地質学では、プレートテクトニクスの勃興により、教員・研究者の間の軋轢が、院生学生の囲い込み的な動きとなり、院生自身が分断されかねない状況が生まれるなどのことも頻繁に起きていた。その一方で、いまでいうポスドク問題(当時はオーバードクター問題といった)が深刻さを増しつつあった。もっともこの深刻さの度合いは大学によって異なっていた。

私自身は、プレートテクトニクスの勃興に興奮し、自分の研究をその流れの中におき、のめり込んでいる真っ最中であった。
そんな時である、先輩の宮下純夫氏(現日本地質学会長)から、自分に引き継いで院生代表の評議員をやらないか、と突然声がかかった。
私は大変驚いた。
「なぜ私が?研究に忙しいし、毎回東京へ出かけるそんなお金もないしー、だいたい偉い先生達が居並ぶ評議員会なんて、畏れ多くてーー」
当然、強く固辞した。
しかし、多くの院生が、オーバドクターとして直面している現状は、
自分たちで何とかしないと誰もやってはくれないこと、旅費は全国に院生や理解ある先生方に呼びかけて募金で何とかすること、諸先生は偉いように見えるが実は大したことないこと、などなど次々と説得され、立候補するはめとなった。
そして、当選、というか院生評議員の枠に一人しか立候補しないわけだから、無競争である。しかし得票数は公表される。最低得票数。
当たり前である。無名なのだから。

そして、いよいよ最初の評議員会となった。
募金での旅費。北海道から飛行機などとんでもない。
青函連絡船に乗り、夜行列車を乗り継いで参加した。
最初のあいさつで何を言うか、夜行列車の中で考え抜いた。

オーバードクター問題、院生会費、雑誌の英文化ーーー
ほとんど知らない先生達である。北海道大学からの先生はほとんど欠席である。サボリか?お金がないのか?

緊張で心拍数が上がってくる。
しかし、深呼吸して、院生の抱える問題について訴えた。

(つづく)