センター試験

今日、明日と大学入試センター試験
日本の若者のほぼ半分は大学へ行く時代。そのかなりの子供達が受ける今日の試験。
全国的に雪と吹雪で心配だ。

さてこの制度をどう思うかだが、もう日本人口のかなりの人がこの制度の下で育ち、社会へ出ている。当たり前の空気のような国を挙げての一大イベントとなっている。しかし、ここにこの国の人材養成の盲点がある。
まず、受験する側の目的と目標のはき違え。目的とは、究極の目的というように、本当の狙い。的(まと)なのだ。それに対して目標は道しるべの標(しるべ)なのだ。英語で言うとmilestoneだ。どこか目的の地へ行くためのしるべ。大学入学は、一度しかない人生の目的を遂げるための1つの目標でしかないはずだ。なのにそれを目的としてぎゅぎゅーやるから、合格しても次に何をやるのか、とまどってしまう子供のなんと多いことか。
目的とはなにか、目標とはなにか、と聞いても返答に詰まる子が多いことに象徴されている。
昔が良かったとはいわないが、「将来の夢は?」と聞かれると、だいたい答えは職業であった。
「保母さんになりたい」「電車の運転手になりたい」「パイロットになりたい」「医者になりたい」「博士になりたい」「ーーー」そして、そこには職業につくことへの専門性の誇りと「人の役に立つ」という崇高なモラルがあった。でも、高校に全員が行ける社会となり、その半分が大学へ行く時代となって、目標が目的とすり替わった。

センター試験が悪いとは言わないが、最も脳が柔軟で、努力でなんでも吸収できる時に、大学入学という「目的」のために受験科目に特化してしか勉強しないという。すると大学へ入っても小学校中学校レベルの知識しかない若者で溢れることとなる。知識がないとその上に重ねるべき判断が出来ない。思考停止になるという悪循環が繰り返される。私は、成績がどうのこうのというよりも、長い人生のスパンで考えると必ず「そういえばあの時、習ったような〜」と思い出してそこにもう一度立ち返ることの出来る知識くらいは全て教えておくことが大事と思っている。昨年、「日本史」「世界史」の教科書が店頭で売れたということはそういうことではなかったのか、と思う。私も買ったが。「鉄は熱いうちに打て」だ。

それとセンター試験という一斉試験よりは、英語のtoefl、フランスのバカロレア制度のように、知識の蓄積を保障する単位認定制度によって職業に就いた後にでも大学へ入れるような制度となれば、親が総掛かりで大学卒業まですべてを負担することもなくなる。
私は文系も理系も全科目必修を課すべきと思っている。