2012年03月11日のツイート

震災一周年を機に、一冊の本を読み返した。
中谷宇吉郎「科学の方法」

科学の方法 (岩波新書 青版 313)

科学の方法 (岩波新書 青版 313)

中谷は、かつて北海道大学理学部地球物理学教室の教授であり、北海道大学低温科学研究所の創設者の一人である。災害は忘れた頃にやってくる」との名言を残した寺田寅彦の一番弟子ともいうべき人。多くの随筆を残す等、その研究姿勢も寅彦をよく受け継いでいた。世界初の人工雪結晶形成実験をした人で、「雪は天からの贈り物」との名言を残している。学生時代、1971年?、北大の理学部の前にあった時計台の美しい荘厳な低温研究所の建物が取り壊される場面に立ち会ったが、中谷の思いが崩れ去るような複雑な思いのよぎったことが記憶の中にある。
1962年、定年直前の現役で亡くなったという。私よりちょうど50歳年上であり、この「科学の方法」を記したのが58歳。ちょうど半世紀前の科学を巡る社会背景や科学者の心理等をかいま見るに絶好の書である、という思いが読んだ動機である。

余談だが、アマゾン価格は\777。ラッキーナンバー3つ目揃い。私の書棚にある古本を見ると裏に,\157とある。バブルの頃に手にした記憶がある。その頃は誰も手にする者はなかったのかもしれない。

執筆の時は、戦後の混乱からようやく抜け出し、東京オリンピックへ向けて、明るい未来がさし始めていた頃、そして原子力が夢のエネルギーとしてもてはやされ、大学の原子力関係が最大人気学科として浮上していた頃。本書の中にも幾度もそのことが出て来る。理系が夢の時代である。

しかし、本書を通じての宇吉郎の一貫したメッセージは、『要素還元主義的」科学は引き続き科学をリードするであろうが、そこにははっきりとした限界があること、人間は如何に自然を知らないのかをを知りなさいということである。
それは科学というものが自然の中からわかり易い再現可能なものを切り出すというその方法に本質があるからだと。

1970年代以降の「複雑系の科学」勃興は要素還元的科学の限界を如何に突破するかの挑戦であるが、日本における複雑系元祖、地球物理学元祖とも言われる自然そのものを見つめた寺田、中谷師弟ならではの「科学の方法」論である。
東日本大震災に際し、科学の限界が広く議論されている中、振り返るべき原点の1つがここにある。
中谷の雪の結晶記念碑は、北大理学部横に建てられている。