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時間のかかった論文ですがようやく印刷になりました。
かつて岡本君が実際に大量のデータを出し修士論文でまとめ、最近、浜橋さんが印刷に詰める最後のまとめをやりました。フィールドワークは名を連ねている皆の協力でできました。セミナー+アルファ一同の共同作というべきものです。
本来私は筆頭であるべきではないのですが、放っておくと眠ってしまうデータなので、手を入れて、議論を重ねて皆さんに協力していただいてまとめました。延岡衝上断層の研究はまだまだ続きます。

http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0191814113000552

研究で論文をまとめる際に著者はいかにあるべきか、常に考えさせられる事柄です。

研究は最後に論文としてpublishされて完了することはいうまでもありません。そこにいたる道筋で実に多くの人たちが絡みます。論文の中で人名が記述される箇所は、著者(順番がある)、謝辞、引用文献(personal communicationによるdata閲覧やidea獲得も時には含む)があります。
著者はもちろん論文の内容について連帯で責任を持ちます。筆頭著者が全責任を持ち、他は協力者というわけではありません。順序は研究結果への貢献度なのですが、その貢献度の扱いが難しいところです。私は歳が大きく離れているので、提案した順序が独裁的になり、不愉快な思いをさせないか、かなり気をつかうところです。

研究が論文としてまとまるまでには実に多くの人たちにお世話になっているので、研究内容に関わって少しでも貢献した人は出来うる限り多く共同で著者になっていただくことがよろしいと私は思っています。

論文の引用は単著論文はもちろん筆頭者のみ、二人の時は○ and x、他は筆頭者et al.なので、著者数はできるだけ少ない方がいいという考えも色濃くあります。名が明示されて引用されたいという研究者につきまとう自己顕示心理を反映しています。dataやサンプルなどが完全に公開され、分析装置や計算機使用なども全て公募形式によるなどで、研究費の獲得まで含めて全て少数の著者に閉じて実施されたような場合はそれでいいと思います。

しかし、現代という時代はそういう時代ではなくなりました。テーマの設定、研究費の獲得、dataの取得、その解釈と議論、実に多くの人との関わりの中で論文として成就します。

私は、それらの過程で貢献していただけたと思う人はできうるだけ共著者になっていただく方が良いと思っています。いまの時代、研究者は著作の数が様々なところで評価の対象になりますから、give and takeのnetworkをできうる限り大きくしておくことが重要と思うからです。そのネットワークの広さが研究の次の発展に必ずつながるものです。

”激しい競争の時代に最も強いのは共同です”、ね。