SNS発信のバランス

 新しい学期となり、通常の講義も今日からはじまる。知の創造(研究)と知の切り売り(教育の一部)を生業とする身であるのだが、その「知のフラックス」すなわち「知の入りと出」をどうバランスさせるかが人生を通じての課題であり続けている。
 たとえば、このブログを含めたSNS(社会ネットワークサービス)をどう利用するか。home page、blog、facebooktwitter。それらは全て実名でやっているのだがとてもいつもいつも書くことができるわけではない。それぞれ始めた時は、新しいコミュニケーションの取り方が楽しくて書き込む。そうするとそれまでのものがおろそかになる。気がつくとこのブログにはもう四ヶ月も書いていない。せっかく読んでいただいていた方には申し訳ない。facebookでやっていますよといっても、そちらは全てが公開されている訳ではない。

 そこでSNSを含めた、個人的な「知のフラックス」システムの再構築をはかろうと思っている。

home page:職業としての静的情報発信:現職の定年まであと1000日余り。すなわち3年弱。しかし「知のフラックス」作業は健康が許す限り、時が少なくなったとはいえ、残された人生の限り続くであろう。情報発信基地、それがhome page。
研究成果、教育資料配信。blog, facebook, twitterなどへの情報発信基地。
人に頼るのではなく自分で作成、更新出来るようにすることが肝要。
というので現在のものを更新せず、コツコツと大幅改定作成中なのだが、なにせ自分でやるとなると分からないことも多く、時間を要している。
完成公開目標:5月連休明け。

blog:諸事象に対する動的完全公開な意見付き情報発信。自己顕示欲過多?老害?との批判もあろうかとは思うが、それらの批判を甘んじて受けつつ、押しつけ的ではない思いの情報発信とコメントで双方向。twitterfacebookに連結発信。

ちょっと整理しなければならないのが書評関係。blog, facebook, 自分メモなどを使い分ける算段でちょっと混乱あり。どんな本を読んでいるかは最もプライバシーに関わることでもあるけれど、読書からどのようなメッセージが産まれるかは、それをどの対象に向かって発信するかという「知のフラックス」の根幹にあることだからね。ここで思案しているのは専門以外の事柄。

「”本来の研究”や”ねばならない”仕事もせずに何を読んでいる!?」との声も聞こえてきそうだが、しかたがない。読みたいものは読みたい。読んでしまったら感想を人にいいたい、というわがまま。迷惑かけてごめんなさい。脇道読書の「罪悪感」を肝に銘じて仕事をします。このジレンマから読んだ超ベストセラー、ゲリー・マクゴニカル著「スタンフォードの自分を変える教室」はエキサイティングだったね。雑多な読書をしながらの「研究」と「仕事」をしようという勇気をもらった。
というので、書評関係は

完全公開書評→blog
一部公開書評→facebook書評
非公開書評→facebook書評
か?

facebookは、日常の軽い情報発信やりとり。公開としつつも、友達関係限定コミュニケーション。会っていなくても、遠い昔の人であっても、すぐそこにいるように短い時間でコミニケーション。ほんとうにこれは素晴らしい。写真や私の場合はスケッチも、と感じたことやちょっとの自己顕示欲も許してもらえそうだし。

twitterは圧倒的な匿名者への発信なので、砂にしみいるメッセージのような気がして現在開店休業中。

はじめた頃のペンネームブログに記したものが3年分ぐらいあるのだが、現在一部メッセージは、home pageに写してarchive化して完全閉鎖を検討中。

今回は、これを整理するのに1時間半くらいかけてしまったが、全て合計でも一日30分以下にしたいね〜。

時は金なり、命なり。