杉村新先生卒寿記念シンポジウム

 先週の土曜日に、杉村新先生の卒寿を記念するシンポジウムと祝賀会が開かれた。その席で講演をさせていただくという機会をいただいた。大変誇りに思う。

 杉村先生は、火山フロントという地球科学の世界では、いまや当たり前となっている言葉の創設やその意味するところを提唱し、また、活断層や活褶曲研究を地震地殻変動にいち早く結びつけた偉大な研究者である。その所属は東大地質学教室、構造地質学講座の助手。すなわち現在の私の席のルーツにある講座であった。しかし、多くの功績がありながら長らく助手のままであったが、1974年(51歳の時に)神戸大の教授としてご栄転されたのである。その間の事情は余りにも有名で、プレートテクトニクス革命の激動と重なるその人生は英雄伝説となりつつさえある。

当日の私の講演は、歴史の上で杉村先生の果たした重要なspiritは3つである、というお話をさせていただいた。

それは
1。批判精神(反骨精神)critical thinking
2。自由精神 liberalism
そして
3。斉一観 uniformitalianism
である。

1。先人の科学的成果に対しては、人間として尊敬する先生であっても科学とは区別して大いに批判精神を発揮すること。
(これが長らくの苦節の理由だったのかな?)
2。これまでの科学の枠はどんどん飛び越えて新しい科学を開くこと。
3。そして、地質学のように歴史を研究するに際しては、斉一主義を貫くこと。

これは杉村先生の名著「大地の動きをさぐる」(岩波書店,1974)を読むと見事に伝わってきます(絶版とはもったいない!」

当日、もうひとつの名著「弧状列島」の共著者、これも超大御所 上田誠也先生が来られていて、祝賀会のあいさつで紹介された。
地質屋の杉村先生が地球物理のところを書き、上田先生が地質のところを書いたとのこと。学際を超え、お互いに学び合うには最高の方法だ!

実は、その学際のハードルを越えたところにプレートテクトニクス革命の本質があった(拙書、「地質学の自然観」にも記しました)。
今また一部に、復古調のたこつぼ的議論があるが、この時代の興奮は傾聴に値する。それがリベラルの本質である。

さて斉一観。もちろん過去の地球を知る上で「現在が鍵である」ということと共に「過去を知ることは現在の、未来の鍵である」ということ。と同時に宇宙開闢以来の物理化学生物学の法則は貫いているということ。それも地質だ地球物理だ、という復古調のたこつぼ的議論とは無縁なところにある。

杉村先生の締めくくりは、名言でありウィットに富んでいた。

科学史に名は残らなくとも石は残したい」

この石とは「意思」「意志」と暗に読むというのが、石を取り扱う地質学者の最高のウィットなのだと読み取った。

北海道出の私には、杉村spiritsは次のようにならべるとすっきりする。

次は白寿、お元気でいていただきたい。