ローマ帝国末期, [泣き面にはち状態]の大地震・大津波

地中海地域は活発な変動帯であるにもかかわらず、明瞭な地震津波の記録が多くはない。
しかし、Nature Geoscienceの2008年April号におもしろい論文が載っている。

AD365年にクレタ島を一挙に隆起させる事件があり、エジプトのアレクサンドリアや各地が津波で水没したらしい。
それをもたらした断層は、プレート境界そのものではなく、クレタ島の南西に位置する分岐断層だとすると話がぴったりあうという。
それは1944年に東南海地震をおこした南海トラフの分岐断層や1964年のアラスカ大地震と同じと議論している。
また、エーゲ海の南西に位置するヘレニック海溝での地震津波の365年以降の後記録は1303年。
すでに700年以上経っている。
プレート収束速度は35mm/yrで日本の南海トラフとあまり変わらない。
そこで21世紀は気をつけなければならない、地中海も。

この地震が起こった時はローマ帝国が疲弊しきっていた時期。
寒冷化の気候変化が食料不足などの原因となり、ゲルマン民族の移動を促した。
そのような不安定を政治はコントロールできない。
キリスト教を認め、首都をあえてコンスタンチープル(現在のインスタンブール)に移しててもである。

そんな時、大地震と大津波が追い打ちをかけた。
地中海各地の沿岸部は大被害を被ったに違いない。


そして375年、ゲルマン人の一層の大移動、侵入を食い止められず、滅亡(分裂)へひた走ったのだ。
天変地異の大災害は大帝国をも滅ぼすのである。