サハリン・犬物語(4)突撃!

それはどんよりとした朝のことである。
このサハリン最北の地は、8月という1年の中で一番暖かいはずに季節でも、曇ると肌寒い。おまけに風が強い。
そうなると、調査へ出かける時に、防寒のジャケットは欠かせない。
風はこれから行く方角に対して向かい風だ。
「向かい風は気をつけろ。我々の匂いが先へ届かない」
という、北海道で調査をするときのことばが頭をよぎった。
でも、数人で出かける時は、熊に対する恐怖は驚くほどなくなるものだ。

私たちは、いつもの道をテクテクと歩き始めた。
今日の犬の同伴は、ボスのおばあさんと、あのちょっと噛む癖のある孫だ。

向かい風を遮るものは何もない。
なにしろ、樹木が1本もなく、這松と高山植物が大地を覆うだけだからだ。
むき出しの岩肌、周氷河に独特な、きれいに並んでサークルをつくる礫。
さ、海岸へ降りよう、と思い始め、その道を探っていた時のことである。

そのばあさん犬が狂ったように叫び始めた。
「え!どうした?」
「熊だ!」
メリニコフが叫んだ!
「え!どこだ?何も見えないぞ?」
犬たちは、もう一目散で海岸へ降りていった。
「あそこだ!二頭いる!」
再びメリニコフ。
私は、メリニコフに、
「銃は!?用意しろ!」
しかし、メリニコフは
「もう何日も歩いて、熊の気配がなかったので今日も大丈夫だろうと、灯台に置いて来てしまった!」
メリニコフは屈強な地質屋とはいえ、もう60を超えている。その体力の限界が彼に重い銃を置かせて来てしまったのだ。
「すると、武器はこの唐辛子スプレーだけか!」
しかし、こんな強風でおまけに向かい風、こんな時にこのスプレーを使ったらとんでもない事になる。私たちがやられてしまう。
恐怖と緊張が全身を貫いた。

そんなやりとりがなされた間に犬たちはもう熊のところにいる!
最初、熊を見つけた時は、意外と小さいなと思った。なにしろ基準となるスケールはなく見通しがいいと、ものの大きさが分からないのだ。
しかし、犬たちの大きさは分かっている。
「とんでもなくデカい!」
犬の10倍どころではないのである。
そして、犬たちの決死の戦いがはじまった。

あのあばらの浮き出た、ばーさん犬が飛びかかるのである。
まず、正面から対峙して吠えている。
「うううー、ワナワンワン!」
うううー、とうなっている時には恐らく牙をむき出し、睨みつけているに違いない。
徐々に、接近する。
すると、熊が「う!」と前に出て、思い切り手を振り払う。
この一撃にやられたら、終わりだ。犬たちははらわたをえぐられひとたまりもない。
しかし、ばーさん犬は極めて俊敏に後ろへジャンプする。
「すごい!」こんな機敏な姿は、あのいつも眠っている姿からは想像もできない!
そして、再び。仕掛ける。
熊は後ずさりする。
しかし、また振り払おうとする。
孫のほうも、もう一頭に対し同じ攻撃をかけている。

膠着したまま、だんだんと時間が過ぎていく。
「まずいぞ!持久戦になれば熊の方が体力があるに決まっている!犬たちはろくに物を食べていない!犬はどちらかが一撃食らったら、それで終わりだ。そしてその後には私たちのところへくる!しかし、銃はない!」

全員の緊張が山を登りつめた。
その時である!

(つづく)