七転八倒と人の出会い 第一話 ペレストロイカと腹痛(1)


一昨日の七転八倒で昔、深刻であった経験を思い出した。全3話。



第一話 ペレストロイカと腹痛(1)

前に記したサハリンでのことである。しかし、犬物語よりずっと前のこと。
1987年のことだから、もう20年も前のことである。
最初に行った時はまだまだ共産党全盛時代。
私たちはVIP扱いであり、ユズノサハリンスクのVIPルーム、特別保養所のサナトリウムなどに滞在した。
その80年代前半でも、すでに様々なシステムや設備に追いて、西側との差は歴然としていたが、私たちの全ての行動は監視下にあり、あくまでもそこは理想社会であるかのように見せかけようと必死であるかに見えた。
しかし、ソ連社会は着実に崩壊に向かって進んでいたのである。
1987年はゴルパチョフのグラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(リストラ、改革)の時代。
結果は、それがソ連崩壊を加速させたが、崩壊の予兆は社会の末端、極東にまで及んでいた。


その年、腐敗があまりにもひどいからか、会議の席でのアルコールは一切、禁止となったという。それまで、空港に着くなりVIPルームで、ウオッカとコニャックが出されて、真っ昼間から酔わされてしまう。彼らもそれを口実に「公費」でがんがん飲んでいるのである。しかし、そのことが禁止となった。
彼らのほとんどはアル中である。
特にアカデミー会員でもある研究所の所長は、私たちには気のいいおじさんではあるのだが、彼のアル中は、有名であった。

私たちは、共に調査へ出かける事になった。その所長も一緒である。
フィールドでは疲れを癒す意味でも、アルコールは必携である。しかし、それがない。すでに店でも手に入らなくなっているのだ。一般人にはガソリンも手に入らない。キャンプするに必要な食料の確保も難しい。そこで、信じられないことが起こった。
研究所の車は、ガソリン入手の優先権がある。しかし、食料はない。
そこで、ある農家にいったのである。どうも農業部門で権力のある家らしい。
そこで何やら話をしている。そして袋満載のじゃがいもを持って来た。そして、その家の農夫らしい人は、バケツを持って出て来た。
車のガソリン口に突然、ホースを入れ、口で吸い始めたのだ。ペッと吐き出すとそのホース口から勢いよくガソリンが出始めた。
下に追いたバケツはたちまちガソリンで一杯になった。
闇での物々交換である。
次は、ユズノサハリンスク郊外の広い農場。突然車が止まった。
「ちょっと待ってて」
一緒に来た女性と数人がどどっと車を降り、畑に走った。
見ると手に一杯の人参である。
私たちはソ連の農業は、個人経営はなく、集団経営でコルホーズと昔習っていた。しかし、彼らの行為は明らかに盗みである。それが証拠に彼らの表情は子供が悪さをした時のようにあの一種独特の表情をしているのである。「そうか、これは犯罪なのだ!」と思った。
黒パン(炭水化物)、マーガリン(油脂)、野菜(ミネラル)は確保。足りない栄養素はタンパク質。それは現地で魚を釣れば良い。季節はまさに樺太マスの大遡上期。手で捕まえられるほど一杯いる。

なにかが足りない。そうだ、肝心のアルコールがない!

いえいえ、あったのです。なにせ研究所。
さっそうと、実験用アルコールの瓶がずらっと登場したのである。
「え!こんなもん飲むのか!?まさかメチールじゃないだろうな?」
そう、メチールアルコールは戦後日本で病みに流れ、多くの犠牲を産んだ毒である。「目が散るメチール」と呼び絶対に飲んではならない、となぜか子供にまで教育されたことだ。
まー、なんとか準備万端。


キャンプをしながら調査に向けて出発である。
言葉は通じないが、まぜか皆、ルンルン遠足気分である。おまけに外国人と一緒。彼らも本当に楽しそうである。
ロシア人の食事係兼テントキーパーの女性二人。所長とメリニコフ、そして日本人は6名である。
毎日、へろへろになるまで調査、そして夜になると毎夜毎夜、怪しげな宴会が始まった。
実験用アルコールを水で薄める。食べ慣れない食事を毎日食べる。泥どろに酔って寝る。
水で薄めたアルコールを想像してみて欲しい。あの病院の消毒のアルコールの匂いのする飲み物だ。

そんなことが続いて一週間。だんだんと体調が悪化して来る。
そしてついに耐えきれない痛みが襲った。
食べる物は全て吐く!寝ていても繰り返す激痛。
しかし、私は調査隊長。
このままでは、指揮に関わる!
「俺もアホだな!ほんと!」と激痛の中で反省している。
その場の楽しさに流されてしまう、やわな性格。

その時である。百戦錬磨の所長が、何やら言っているのである。
それをメリニコフがたどたどしく英語に訳す。
ジェスチャーと重ね合わせると、
「実験アルコールを10ccそのまま飲め!そしてその後に水を飲め!」といっているらしい。
説明は「多分、ウイルスにやられた。アルコールで胃壁を消毒すれば直る!」
「ええ!殺す気か!しかし、合理的な気もする?」
「まっとうな薬を持参しなかったこちらの問題でもある。直る可能性があれば何でも良い!」
私は、その乱暴は治療法にすがった。
99.9%アルコール一気飲み!
口の中に火がつくどころではない!のどに火がつく!その日が食道に燃え移る!
胃痛どころの騒ぎではない!
「ギャー!」
私はそれまでに経験した激痛と言えば、高校時代と大学時代に事故での傷を麻酔なしで縫った二度の経験があるのみだ。
それもすざましかったが、今回もまた別の味わいだ。
「水!水!ーー、水をくれー!」
「ニェット!まだまだ!」
所長は冷静に、アルコールが全て胃壁を覆うのを見定めるように「ダー」とは言わない!

(つづく)