私とうどんと讃岐 (13) 恐るべきさぬきうどんへの助走

腹を壊しているのに食の話題。
でもうどんってお腹に優しいんだよね。
そこで久々に、うどん。
書いていると、食の記憶って残ってるね。まさに食い意地だ。

毎年個性豊かな学生が四万十帯の調査をして三年目の88年、またまたユニークな学生がやってきた。漫画研究会、竹内誠。
彼の現在の姿は、ここにあるよ!
http://d.hatena.ne.jp/takken1968/

タウン情報誌「かがわ」でバイトもしているという。
同時に「うどん」に目がない。
香川では、必ず会話のどこかに、うまいうどん屋の話しがある。
腹を空かせる事一番の若者には、おやつであり、食事であり、手軽で安い「うどん」は最高の食なのだ。
安月給の大学教員も同じ。私は香川へ赴任した後に、5年振りの第二子が生まれ、あちこちに手弁当で出張、調査をするので、貧乏暇なし。家計はいつも火の車である。百円玉二、三個で取れる食事は、最高。
県庁近くで、安くてうまいと大評判の「さか枝」http://www.e-sanuki.com/udon/shop/sakaeda/index.html
は、住宅街の中にも関わらず、昼になると長蛇の列だ。それも、そのはず。二百円も出せば、大盛りで、タヌキとネギをたっぷり、ごまも大量に振りかけ、満足!ってわけだから、学生もサラリーマンも、みな押しよせる。
いまどき、東京で同程度のうどんを食べようと思ったら\1,000は下らないだろう。
朝が旬の丸山製麺http://www.e-sanuki.com/udon/shop/maruyama/index.html
朝、卸すために茹でるついでに店を開く。天ぷらもあるだけ。なくなったら閉店。子供が通い始めた亀阜(かめおか)小学校の横にある。朝行くならここだ!と、これまた評判。
夜行くなら、いつも開いている黒田屋。http://www.shikoku-np.co.jp/udon/shop/shop.aspx?id=627
私がいたころには道路際にちょこちょことあったはずなのに、ネットで見ると随分と大きくなっている!
そういえばあの頃は、高速もなかったし、郊外に大規模な店もなく、全ての中心は市街地だったからね。
国道沿いに夜、やっている。夜の帰り道、腹がへったらここ。チェーン店なのでどこでも同じ味。パチンコ帰りはここだ!

私が高松の夜の街、ライオン通りで飲んだ後に、最後に行く店はいつも、「讃岐家」だった。
http://www.e-sanuki.com/udon/shop/sanukiya/index.html
夕方からしかやらない。紫蘇のぱりっとあがった天ぷらをうどんの上に乗せ、それが崩れるかいなかの狭間に食べるうどんはなんとも最高。
長くいた高松で一番うまかったと今でも思う。残念ながら、そこの無口な、しかしなんとも味のあるご主人が体を壊し、随分前に閉店したという。よる年並には勝てない。

そんな、なんだかんだという、うどん屋、食べ歩き情報が、タウン情報誌に「恐るべきさぬきうどん」として連載され始めたのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/恐るべきさぬきうどん

しかも、そのために「かがわ」でバイトする竹内君ら学生たちが、県内一斉に散り、食べ歩き始めた。その周辺にいる人の会話にもいつも、あそこはこうだ、ここはこうだ、とやっているのだ。うどん通にはたまったものではない。
だって、半日もたつと着実にお腹は減る。そして、うどんが食べたくなってしまうのだ。

そして、「恐るべきさぬきうどん」は、県内から飛び出し、全国のブームがはじまった。時はまさに日本経済、バブルの絶頂期と重なったのだ。おまけに瀬戸大橋がつながった。
時を得て、全国から、讃岐うどんをめがけて人が押し寄せて来た。
http://ja.wikipedia.org/wiki/瀬戸大橋