七転八倒と人の出会い 第一話 ペレストロイカと腹痛(3)

彼女は私たちの入るはずだったドアの前に立った。
そして、本当に壊し始めようとしている。
騒ぎを聞きつけて、多くの人が集まって来た。
私は隊長として、このままではまずいと思った。
そして、名前を呼んで、
「ちょっと待ってくれ!もういいよ」
と通訳を通じて、伝えた。
「ありがとう、もう十分だ。これ以上は」
「でも、こんなこと許せない!外国からの大事なお客さんに、だからこの国はーー!!!」
周りの人は、最初呆然としていたが、一斉に話し始めた。
そして、寸前でドアは破られずに済んだ。
私たちは、疲れた体もそのままで、研究所の移動し、応接室で荷物から寝袋を取り出し、寝ることとなった。
どっと、体から疲れが吹き出し、泥のように眠りについた。

そのときの彼女の行動に私たちは大きな感動を覚えた。
それから数日、ユズノサハリンスクに引き続き滞在し、お世話になった人たちへのお礼と日本へ送る試料の整理等に追われたが、不愉快な話が耳に入って来た。
「彼女は私と関係がある」というのだ。ある人はそういう噂があるが、本当のところはどうなのだと聞いていさえ来た。私はそれを聞いて唖然とした。そして怒りが込み上げて来た。
「なんて卑劣だ!」
これまで、フランスからの研究者や私たちを彼女の家にも招き、旦那さんと共に精一杯の接待をしていただいた。フィールドでもせっせと食事のお世話をしていただき、私が腹痛で七転八倒の後には大事に持って来た米でおかゆまで作ってくれた。その誠心誠意を逆なでする話だ!
私に、ここにも熱き心の人間がいる、政治の体制や顔つきの違いや、ことばがちゃんと通じない事等全く関係のないことなのだと、行動で教えてくれた人だ。
それは、大きな収穫だったのである。

しかし、翌年の調査で、彼女がくることはなかった。研究所長の判断による同行者から外されたのだ。


そして、1997年、本当に久しぶりにサハリンを訪れたとき(犬ー熊騒動の時/サハリン犬物語参照)、10年振りに会う事ができた。スーツに身をつつんだ彼女がつつましやかに現れた。
私はなつかしさで一杯になった。もうソ連はとっくの昔に崩壊していた。大いに笑いながらその時の話をすることができた。

そして、新たな話を聞いて驚いた。その時のマサカリ事件は、サハリンの新聞で一面トップで、大きく報道され、軍隊の横暴を避難する大変な話題になったのだという。
それを聞いて、私は、少しは彼女の祖母の代からの恨みは晴れたのかな、と思い、ほっとした。

(第一話おわり)