この国を滅ぼすのか!ー改めてポスドク問題

昨日、お台場の東京国際学術館で地球惑星科学連合主催のシンポジウム「博士号取得者のキャリアパス支援の現状と課題 −博士のキャリアパスとは?−」に挨拶係として参加してきた。

たった二時間の会議では少なすぎたが、担当者と司会者の適切なアレンジで濃密であった。

とくに、物理学会、化学連合、生物科学連合、そして地球惑星科学連合と、いわゆる理科系の物理・化学・生物・地学がすべてそろってこの問題を議論する場が、学会主導で、かつ公開で日本初に設定された意義は大きい。
そもそも博士は多すぎるのか? とんでもない! 欧米先進国に比べて、むしろ少ないのだ。
では、なぜこんなにも深刻なのだ。それは、受け入れる社会、アカデミーの側の問題。博士を生産する大学の問題、そして将来どのようなキャリアをめざすかという博士自身の問題と多岐にわたる。
中曽根内閣時代に決定した博士1万人計画。それが間違っていたとは思わない。博士は知識人、専門人である事への運転免許のようなものだ。だから30歳に近くなるまで膨大なお金を投入してそのような人を作っているわけである。
運転免許を持っているからといって、だれしもうまい運転をするわけではない。免許がないからといって運転できない訳ではない。
しかし、そのことへの社会の合理的認定システムであるはずだ。
ところが、現状は、大学教員等のアカデミーのポストは潜在的に数十倍。民間企業はつぶしの効かない博士はいらない、都合良く仕立て直せる修士がいい、という。
つぶしの効かないような博士を作り出している大学の側にも問題があるかもしれない。しかし、博士とは科学や技術において、それまでの人類の知識レベルから一段上の独創的なものを発見できる人、それも自分で出来る人、そして最初のそれを実際にやった人と認定されてはじめて博士なのである。何かの、あるいは誰かの延長や手のひらの上で博士となる人もいるが、それは本来の姿ではない。そのような人材は、どのようなところだって必要なはずだ。自己主張をきちんとできる人材、独創を発揮する人を民間だって欲しいはずだ。イエスマンだけをほしがる組織なんて先が見えている。
このような博士を「ままこ」扱いする社会って先が長くはないかもしれない。
知識人の生産、未来への投資をやめた国、抹殺した国は近代から現代に山とある。そのような国は最貧国へ転落した歴史を理解して欲しい。
先に、どこかの政党が、現在の官庁の政策の中で無駄なものに点数をつけたという。文部科学省の「博士キャリアパス支援政策」は全員がバツであったらしい。博士1万人計画を実施したあの崇高な理想はどこへ行ったのか!とても同じ政党とは思えない。そのような国の先を設計できない人たちに政治を任せておいていいのか、多いに疑問だ。
帰りの駅までの道、とっぷりと日が落ち、光り輝く大都会の風景を眺めながら、そして、連休まっただ中、この夜を堪能しにあつまる多くの二人連れ、家族連れを見ながら思った。


多くの山のような矛盾がある。しかし、この発光ダイオードの青い光も建物も、この空間も、人の知恵の結果だ。


この光が消えたら、人の集まる空間が消えたら、未来への希望も消える。山のような矛盾を解いていくのも人の知恵だ。

この国を滅ぼしてはならない。人々の顔から笑顔が消えてはならない。
ポスドク問題は、そこに我が身をおくコミュニティーのための我田引水な「わがまま」な問題ではないと、改めて強く思う。