映画 おくりびと

本当に映画は機内でしか見る機会はない。
今回は帰り便で最新の2作を見た。実は、「おくりびと」は昨年12月サンフランシスコの帰り便でも見たので2回目。
いずれも涙腺が緩み、心が洗われる。

おくりびと
http://www.okuribito.jp/
この映画は、それまでなかったテーマを取り上げ話題になっていたが、人が最後に親しい人の死に向い会った時を見事に描き出している。
私もこの映画を見ながら、これまでの人生の中での死との向かい合いを思い出していた。
最初。まだ幼い時に、北海道の片田舎で遭遇した隣のいつも遊んでいた子のおかあさんの死。
弟か妹が生まれるので運ばれていって、子供は生まれたがおかあさんは亡くなった。
リアカーで布団にくるまって帰って来た。
そして、葬儀。私はそのあまりにも美しく化粧された顔に、幼心に死んでいることが、死というものが信じられなかった。

そして、大学生、院生の時に遭遇した友の死。
北大病院の霊安室に2度も行く事になった。
最初は一年生のとき。サークルの女の子が病気で亡くなった。
美しい死に顔に、そしてあまりにも若すぎる死にくやし涙が溢れてどうしようもなかった。
二人目は、博士課程の終わるとき。私が四国へ赴任することが決まっていた2月28日。
後輩の超がんばり屋が、卒業論文提出目前の朝、実験室で心臓が停止した。
一ヶ月以上にわたる不眠不休の卒業研究への没頭による、過労死である。
皆で泣きながら、伸びきったヒゲを剃り、死化粧をした。
祖父母の死、父の死。幾度も泣きながら送った。
母方の叔父叔母、そして結婚も控えていたいとこ一家の交通事故ー正面衝突による全滅。
3つも並んだお棺の中に、「おくりびと」によって施された死化粧によって皆救われた。

一方で、ロシアで経験した、道路に放り出された無惨な死体。
人は必ず死ぬ。

それをもはや恐れる歳ではなくなったが、その最後の仕上げにそっと手を添える人もまたかけがえのない人であり、そこには矜持がある。
社会における、そのような職業に対する差別への静かな告発になっていると共に、それを気づかせてくれ、尊敬が生まれ、涙せずしては見る事のできない名作だ。


三本木農業高校 馬術
http://sannou-bajutsu.com/index.html

これもいい。馬との生と死の交流を通しての、人と動物と自然とこころのやり取りを、あまりにも美しい津軽の風景を背景に見せてくれる。
今どきの高校生が、先生がここまでも真剣に生と死と人生に向き合っている姿に安心する(なんていったら怒られるかな?)と同時に、人は時を超え、場所を超え何も変わらない。
演ずる馬も子供たちも役者も、そしてそれを指揮した監督にも感謝である。
私は映画の技術に関することは分からない。
しかし、重要なのはそれを見て、感動のメッセージを送ってくれて、超多忙で生きていて余裕がなくなりそうな時に、ほっとさせてくれる。
そんなアレンジをしてある航空会社のサービスにも人の心をふつふつを感ずる。

会議でプロジェクトでバチバチとぶつかって来た○●さんが言った。
「最近歳のせいか、涙腺が緩んでね〜。おくりびと、泣かずに見れませんでした」
「そーですね!私は2回も見て、風邪の鼻水とごちゃごちゃでー」
今回の一期一会もまた多くのことを学ばせていただいた。