人類の未来(2)文明社会の夜明け/ホモサピエンスの挑戦

BShiのフロンティア「人類の未来」のつづき。
http://www.nhk.or.jp/frontier/archives/20071005.html
そもそも「人類の未来」と題して、人類の過去を見る、とはどういう訳か? とまず問いたくなる。

先のつづきの部分のホモサピエンスの登場とネアンデルタールの関係。
ネアンデルタールホモサピエンスは交配して混じったか否か?
これは、面白いテーマだ。先の番組も、この番組も「混じった!」と想像する。
それは、種とは交配できないということを前提として定義し、種の分化こそ「進化」と定義する訳だから、ホモサピエンスネアンデルタールの共通の先祖からまず、ネアンデルタールが分化し、その後20万年前にホモが分化した、ネアンデルタールは兄貴のような種で、ホモは弟(妹?)のような種で別物だ、という20世紀的末的見方とは、大きく異なる。
そして、分化した種が再び混じり合うというのは、これまで「進化」というもの、種の定義に反するのであるから、異論が続出するのは、「ま、当たり前か!」と思う。
でも、その「非常識」さは面白い。極端に言えば、チンパンジーと人が交配でき、子孫を残せる、と言っているのと同じ事だからだ。
番組で述べていた「分化して間もなくであれば可能なのだ」とは、どういこうことか?その分岐点が明確ではない。きっと残されている課題なのだろう。

さて、本題。
ホモサピエンスがどんどん利口になり、知恵を継承し、文明に至る過程。
物語風に記し、実に引き込まれる。
そこは、もはや人類史の範疇を超え、社会科学的意味でも歴史との狭間にある。
私たちは、地球の歴史や、日本列島の歴史や、生命の進化、人類の誕生と進化ということを取り扱うとき、それは自然科学の対象という。しかし、世界の歴史、日本の歴史などを取り扱うときそれは社会科学の対象であると言う。
その違いは何か、共通性とは何か?という問いは、さほど明確にされずにただ、学問として別に取り扱われてるから、高校では別になっているから、という程度で深く考えてはいないのかもしれない。
しかし、この明確化は実はそれ自身面白い命題を含んでいる。

それをいつか、記してみたい。