徐々に忍び寄る研究多重債務

先週はじめ、学生たちの大山が超えた後、久々の読書にはまってしまい、私のやるべきことの期限がまたまた多く迫ってきた。
先々週、「学生から多重債務で身動きがとれない!」と相談を受け、もっともらしいことを言ったが、人ごとではなくなって来た。
こういう状態でにっちもさっちも行かなくなると、「研究の多重債務」状態となる。汚い言葉でいうと「研究の便秘状態」だ。


私は、降り掛かる火の粉を払うのがへたくそだ。
器用な人はさらっとやってのける。
しかし、私は火の粉も気にせず、やりたい事、知りたい事へのめり込んでしまう。
そして細部に仕上げの詰めを切らずに、食い散らかす。昔からこの繰り返しだ。そして信用をなくしてしまう。


まず、本日、連合大会の講演申し込み締め切り。
会長だからって話さなくていいってもんじゃない。
招待講演と自分の講演と最低2つは、申し込む。学生諸君、自分のは自分で面倒見ようね。


論文。すでに最後の投稿直前、細部を残してほったらかしてしまっている。どうもこういう細部の詰めが本当に苦手だ。
世の中、論文の数だ、引用数だ、H値だとうるさく、点数を稼げという。が、私は本音はその価値観が嫌いだ。
私の自己中心的価値観では、そのことを楽しめないのだ。何か札ビラをこっそり数えて、にやにやしているようで。

本。これも最後の細部の詰め。上に同じ。論文の年代チェックとか。「てにおは」の詰めとか。

「ブログを書く暇があったら、やれ!」
「はい!今日、少しでも借金返しのために働きます」