動的平衡と階層構造の科学

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

階層構造の科学―宇宙・地球・生命をつなぐ新しい視点

階層構造の科学―宇宙・地球・生命をつなぐ新しい視点

この連休に久々に上の2冊の、日本人の科学者によって書かれた一般向けの本を読んだ。

この2冊とも、自然をあるいは生命を総体として如何に捉えるか、ということへの挑戦である。破竹の勢いで進んで来た20世紀科学の主流が、要素還元主義であった。それに対して、それでは捉えきれない森羅万象全体にどう挑戦するのかという、90年代以降の複雑系の科学の重要性の認識を背景として、どう攻めるかと苦悩する現場をいずれの書も反映している。

後の書からは、とくにスーパーコンピュータによるシミュレーションによる再現と限界について改めて学んだ。

還元主義の1つに「自然を切り刻み、要素へ還元する」ことがある。
福岡氏は分子生物学者であるが、生命科学の、ゲノム、DNAがわかれば全て分かる、万能細胞があれば全てが解決するという現在の風潮へ、大きな警鐘を鳴らす。
福岡氏の示す、生命とは、「動的な平衡状態にあるシステムであ」り、「可変的でサスティナブルを特徴と」するという。動的平衡にあるパーツを取り出して入れ替えてみても、システム全体に大きな負荷がかかる可能性があるという。いま大騒ぎのインフルエンザのことも記され、著者の絶妙の文章タッチもあり、一気に読んだ。

この視点は地球科学の抱える現在の地球環境科学の根本問題でもある。環境対処療法に狂奔する社会ではあるが、その還元的視点による対処によって、自然全体のシステムにどのような負荷が発生するのかの精確な評価は難しい。

これらは、いずれも、単に「知ること」を目的とするだけではなく、「未来に役に立つ」ための科学を考える時の根本問題であり、現在の科学のかかえる最大の課題でもある。

20世紀的還元主義科学からは次々と膨大な研究結果が生み出され、現在もその流れは益々強く、日々膨大な論文が生産される。分野によっては、一人の関与する論文の生産は週刊誌並みだ。だって、年間50本以上出すという事は、まさに週刊誌。論文の週刊誌化である。科学を管理する側は、書く事を強烈に迫る。商業ベースでは、パテントを取ることを迫る。還元主義の科学はそれを可能としたとさえ言える。論文を読む事さえ追いつかないペースだ。読むのも工場、書くのも工場だといえる。研究者は、論文生産のための一介の工場労働者?。

しかし、科学者のこころは、論文を書く事が自己目的ではなく、結果のはずだ。結果に対する責任として書く。
科学者のこころは、「私たちはなにもの?どこから来て、どこへ行くの?」ということに真摯に向き合うことのはずだ。
そのような全体を包括するための科学は論文を大量生産するであろうか?