続く激震12/ある対話 科学への投資は無駄金?

「なんか、科学者のいっていることすっきりしないんだよな〜。科学は大事だってことはわかるけれど。だって、皆が困っている時に、自分たちのところだけは、削るなって、言ってるように聞こえる。痛みは皆で分かち合うというのがやっぱりほんとだと思うけど」
「それに、偉そうに聞こえてしまう。俺たちは頭がいい。だからお金よこせってーーエゴ」

「そうだね、だから無駄は徹底して削らなければならないね〜。でも、誰一人、高い給料を欲しいなんて言ってないね(このデフレの世の中、皆と同じように給料が減って行く事は覚悟している)。ポスドクの人なんか、収入が少なくて、30半ば過ぎても結婚も出来ない人がたくさんいる。そういう人でさえ、首を切られることになる。科学研究費をどこかで操作をして、自分の懐に入れてしまう悪い科学者が時々でるけれど、それは皆、許せない。そのような人は、発覚すればこの世界では生きて行けない。瞬時に放逐される。研究費の使い道は1円まで全て領収書を添えて置かなければならない。それをいつも監査を受ける体制になっている」

「でも、不景気だから、直ぐに役に立って儲からないと、投資しても無駄になるんじゃないのかな〜」
「それは、技術だね、と昨日、玲於奈先生が言っていた。技術は未来を設計し易い。私の学生時代にアポロが月へ人間をはじめて運び大興奮に包まれた。それができたのは40年も前の技術だね。液晶テレビも、インターネットも、携帯電話も、皆、技術。でもそれを生み出したのは科学だね。科学はすぐには役に立つかどうか分からないけれど、技術を生み出す源なんだ。上のような便利なものも、物理学や化学が急速に発展したから生まれた技術だよね」

「それは、分かるんだけど〜、なんかすっきりしない」

「僕は、よく講義で最初に言うんだけれど、科学の動機は、「知りたい!」って思う事。子供の頃、皆、どうして?なぜなぜ?って聞くよね。それがそのまま大人になっても持ち続けている人たちが基礎科学者。貧乏だって構わない、服装だって気にしない、恋人だっていらない、変な人たちってイメージがあるかもしれないけれど、ほとんどは普通の人だよ。かなり好奇心の塊だけれどね」
それに対して、「役に立ちたい!」ってことが全面に出る人たちもいる。そちらの方が圧倒的に多い。応用科学者ともいうね。
大学で言えば、「知りたい!」が理学部、「役に立ちたい!」が工学部や農学部や医学部や薬学部等かな?もちろん「役に立つために知りたい」ということと「知った結果役に立つ」ということが、両方とも、うまく働かないとね。「役に立つために知りたい」だけで、「知った結果、役に立つ」を切り捨ててしまうと、役に立つ材料すら探せなくなる。

どういえばいいかな?おいしいお酒を飲みたいとしよう。たくさんの種類のお酒が並んでいると、一番うまいお酒を探す事ができるね〜。しかし、そこにちょっとしかお酒しか置いていないと、選ぶ余地がなくなるね。味なんかどうでもいい、とにかく酔えればいいや、と飲んでしまう。とっておきのお酒を見つける事ができれば、それは世界中に広まり、高く売れる。売れるかどうかは分からないけれど、売れそうなものをいかにたくさんそろえられるかが勝負だよね。それが科学かな、役に立つ事につながるかもしれないたくさんの発見を自然の中から見つけておく。だからそれを直ぐに役に立つという点からだけみると「無駄」に見えるけどね。
「科学をお酒の話にすり替えるな!」と怒られそうだけれどね〜。

「そういえば、先生のブログにはいつも飲んでいる風景がありますね〜」
「そそそ、それは〜〜」

 それと、なんで今の事業仕分け、これは大変だって思うかってのは、科学・技術が駄目になると、益々、国全体が貧乏になってしまうってことだけじゃないんだ」
 昨日の仕分けで、大学の運営交付金を見直し!」ってなって、減額って意見も出ていた。でも、そうするとどうなるかってことが大心配。僕も長くいた地方大学では、チョークもない、鉛筆もない、紙もない、校舎もボロボロ。ってことが現実にどんどん起きてきている。人もどんどん減らされて、大学の先生は、研究をすることで評価されているのに、それどころじゃない。1週間びっしりと授業、大量の事務仕事もこなし、おまけに夜間コースまで開く。皆疲れきっている。これで更に減らされると、もちろん成り立たなくなる。するとどうなるかというと、寄付文化のない日本では授業料を上げるしかなくなる。どんどん上げる。国立とは名ばかりで、私立大学と同じようような額へどんどん近づいて行く。すると、どうなるかというと、貧しい人は大学へは行けなくなり、行けても教育環境も悪く、その先の研究さえ、駄目になってしまうようなところに子供の将来は託せいない。同じような金額を払うならば、アメリカやヨーロッパの一流大学へいった方がよっぽどましだということになる。英語もペラペラになるしね。そして、そこで一人前になった後に、劣悪な環境の日本には帰らなくなり、アメリカ人となる。科学に国境はないから、科学にとってはそれでいいんだということかもしれないけれど、この国は益々、貧乏となり、21世紀の中頃までには、世界の中で、振り向かれない国となる。
この最悪シナリオが見えるから、多くの科学者が、嫌いな、苦手な政治にあえて声を上げ始めたんだ。決して自分たちのエゴのためじゃないんだ。

「うーん、考えてみるね。今の若者は醒めてるからね〜。だって、生まれてからずーっといいことないからね。今が精一杯で、未来に夢を見るということが良くわからないんだ」

「そうか、子供時代は、バブルがはじけた後だね、大人になっても景気のいい話はなく、就職氷河期がずっと続いてーー、いままた真っ暗」

「そうだね〜、考える事が大事だね。君たちの将来のことだからね。決して考えを押しつけはしないよ。でも時代に流されるより、流れを作る事ができれば未来が見えるかもね」


こういう若者たちに、どう納得してもらうのか、それは同時に国民への説明責任でもある。アジ演説(60年代用語?)で声高に叫ぶだけでは理解は生まれない。未来の危機への脅しでも駄目である。反省。未来の夢への投資=科学への投資、その説明が成功した時に、この国に科学は本当に根ざしたものとなろう。

激震そして対話はまだまだ、つづく。