穏やかな別れ

身内に不幸があり、週末は急遽、札幌へ飛んだ。
厳冬の地へ行くために、完全防備でいったが、風もなく穏やかな天候で晴れわたり、東京より暖かくさえ感ずる。

故人が逝去されたのは、米寿を迎えた直後のことであったという。
自ら記した人生の手記、病苦を超えての辞世の詩を残しての穏やかな最期であったという。

彼は戦前、難関の中学受験、さらに超難関の陸軍士官学校受験を突破し、死を覚悟しての青春を過ごした。
迫る本土決戦で死を覚悟し、沖縄戦の次は九州と派遣され、そこで終戦となったという。
若き青年将校の青春の終わりであった。「あの時、死にたかった」と何度も語っていたいう。



戦後、敗戦という大きな挫折後の艱難辛苦の人生の中でも、青春時代の矜持を維持し続けた気骨の人であった。
私たち親族の中でも、その生き様は誇りであった。

北海道の斎場には、ほとんど、通夜の後にそのまま宿泊できる設備が用意されている。
線香を絶やさず、故人の傍らで夜を徹して飲み、故人を偲び、親族が久々に語り合い、少しでも故人の意思を受け継ごうという場をつくる。
古き良き伝統の新しい形である。

翌朝の寝不足の中、告別式を終え、近代化された火葬場から見える手稲の山を眺めながら、時代の激動、命をかける青春、そして、はかなき人間の世代を超えた連鎖などに思いを巡らせ、あわただしく帰京の途についた。

合掌