アラモ残像

先週のアラモ、というかサン・アントニオの街の写真の残りを掲載しておこう。
ホテル全景


観光バスと街




近くを川が流れていて、そこがレストラン通り。
冷え込む夜に毛布のメキシコポンチョを頭からかぶりステーキ


夜、ホテルに戻り、おそらく100年前と同じ風景


喫煙バーで一杯。ここも100年以上前から。ガンマンと葉巻とバーボンの香りで溢れていたのだろうな〜。

そうそう、アラモ砦の日本人の記念碑が話題となった。
小平さんがKeling Wangと探したという。
Kelingはもちろん中国語が読める。
そして、英語の説明と漢字で記された中身がまるで違うというのだ。
漢字で書かれたているのは、唐の玄宗楊貴妃を死なせるか、臣下の言い分を取るかの紛争のことだという。

昼食時にKelingと日本海溝の温度構造の話をしながら途中でその話となった。

では、英語に書かれたことはいったいなんなんだ。
今から100年前これを持ち込んだ彼の意思は永遠に不明である。
歴史とはこのようなことがいくらでも転がっているのだろう。