人生最大の大手術(5)-俗界への復帰へむけて

集中治療室最終日のめざめ。最初はけいれんする胸が求める咳と痰。
これまで、苦痛によりできずにきた。
少し状態の傾斜を起こしてもらい、胸と腹を押さえて、
「痰切り!」
腹筋と胸筋、傷に大きく響いたが、暖かく柔らかい液体が喉の奥にジワーと広がった。
「出来た!」
たかが痰切り、されど痰切り!
呼吸が命の原泉であることをこれほど実感した事はなかった。
子供が母の体内から産まれ出、はじめてあげる産声。
あれって、この痰切りと同じなのではないか?肺の内部にたまった水を吐き出し、大きく空気を吸入れる。呼吸のはじまりであるのだから。
などと思うくらい、とにかく嬉しい瞬間、生への復帰を実感した瞬間であった。
安堵と喜びが広がる。生暖かい痰をしばらく舌の上に転がし、生を堪能した。

集中治療室最終日、相変わらず体中痛く、身動きできないのであるが、ドレーンチューブを一本抜く、首筋の点滴をはずすなど、術後のアフターケアー体制が解除されて行く。
午後、昨日失敗した、座り練習。恐怖がある。
ゆっくりと、できない深呼吸を無理をして行い、上体を起こされる瞬間は、痛みに抵抗せずむしろ力を抜く。
できた!
少しずつの実現が、自らの体に対する自信を少しずつ回復させてくれる。
体がむくんで、普段ならどってことない点滴のための血管探しも難しいようだ。
「痛てて!」刺してから血管内を探る作業はちょっとつらい。
でも、大激痛への忍耐は、少々の痛みを包み込む。
看護師「うまくいかないと落ち込むんだよね〜」
「肝っ玉!看護師が落ち込むと患者はもっと不安になるもの!でーんと行こう、でーんと」「ここなんかどうかね?」

最後の集中治療室の夜は、痛みにもなれ、穏やかで眠りにつくことができた。

そして、手術後四日目にしてようやく一般の病室へ戻る。大幅な体調の改善が計られているわけではないのであるが、普通病室へ戻る、というただそのことだけでも精神的ストレスは多いに異なるものなのである。

四人集合の普通室へ戻った当夜、新たに入室した男性患者はすごかった。
彼も体に入り込むチューブ群をはずそうと必死らしい。
「苦しい!」「はずしてくれ〜!」
それを必死で押さえ込もうとする看護師たち。
「手術したのを覚えていますか!」
「え、手術?」
「ここがどこか分かりますか!病院!」
「え!病院?」
「殺してくれ〜!、誰が助けれてくれと頼んだ!こんなに苦しいより死んだ方がましだ〜!」
延々と叫びが続く。
「この手を離せ!誰だ、テメーは!」
もう誰の話も聞く様子はない。やがて鎮静剤でも打たれたのであろうか、静かになった。
集中治療室よりも激しいやり取りであった。
このやり取りが、深夜数回繰り返された。

私もこのリズムで目覚め、そして眠った。翌朝、疲れから私もようやく眠りについた。以降、これが最後の修羅場であった。

回復過程とはすばらしい。普通の健康な人にとって何ともない動きにとてつもない苦痛が伴うのだが、それが1つまた1つと薄れ、出来るようになっていく。
私自身、facebookへの最初の報告は、喘ぎながら記し、送ると同時に疲れから眠りについた。
いまでは、サクサクと打てるように戻ったが。
万事が万事、そうなのだ。
でもその回復過程が、生への回復への歓びを伴うものだ。

あと5年、いや、10年。少しまともに生きてみるか、と気力も回復してくる。
もうちょっと時間を大事にしてみるかと思いつつ。

(おわり)