科学完全自由アクセスの加速を/STAP騒動にもよせて

 一昨日、日本学術会議主催で、科学雑誌・論文のフリーアクセスを巡る公開討論会が開かれ、参加してきた。学術会議会長、日本学術振興会理事長、文部科学省学術振興局、日本学術振興財団理事長、国立情報機構などなど、日本の科学情報流通政策、実行の中枢を担うところがそろい踏みで開かれた。会場の学術会議講堂はほぼ満席であった。

 私たち日本地球惑星科学連合も五年以上の長い議論を積み重ねて、この春ついにPEPS (Progress of Earth and Planetary Sciences)という完全アクセスフリー電子ジャーナルを世界に向けて発行することとなった。世界中どこからでもネットさえつながれば誰でも無料で論文を読む事ができる。図書で膨大な経費を払わなければ読む事の出来なかった専門の論文を無料で読めるという画期的な転換を推進するアクションと位置づけている。
 
 日本はこの完全フリーアクセスに対する施策が相対的に遅れていた。その状態に風穴を空けて世界で科学技術創造立国としてリーダーシップを維持するためにむしろ率先して推進すべきことであると長年思っていた。従って、国を挙げて推進することには大賛成。ついに山も動きはじめたのである。もっと加速せねばならない。

 世界的には既にほぼ半分の科学論文は、フリーに読む事ができる。しかし、いまSTAP細胞論文で激震が走っているNatureなどはフリーではない。個人も図書館も論文を読むためにはお金を払わなければならない。その経費は論文1編につき数千円程度になるはずだ。世界中の大学で今、一斉に悲鳴が上がっている。

そして「自由に読ませろ!」の声と共に生まれたのが、完全フリーアクセス。オープンアクセス制度なのである。自由にするための経費は、著者が、大学が、そして国が払う。図書というものに対するそしてそれを支える根本理念の大革命なのだ。
 
 なぜ革命的かというと「読者はお金を払わなくとも誰でも読める」ということは、科学研究の世界に専門家だけではなく誰でもその気さえあれば参画出来るということだ。しかも科学の肝は「検証」(誰でも再現出来るということ)されなければならないということだが、その検証も誰でもどこからでもできるということである。

 「自由」こそ科学を前へ進めるという根本理念がそこにある。言論統制社会では科学は前へすすめないのである。

 「科学とはなにか?」という定義において、その再現性、検証に関する取り決めは疑いの余地のないほど明瞭なのである。だからガリレオニュートンによって17世紀に科学が成立して以来、この厳密な定義によって科学は人類に大きな貢献をしてきたし、検証できないものを科学は厳密に排除してここまできたのである。 フリー、オープンアクセスが加速するだろう。科学においてこの定義から外れる小細工や幻想はますます瞬く間につまびらかになる。そういう時代なのである。科学をする側も、受け取る側もこのことを肝に命じておかねばならない。
 
追伸:STAP細胞騒動
私も含めて、科学世界も、社会も一瞬幻惑させられた。この騒動はSTAPを発表した人々が「科学とは何か?」という定義すら知らなかった(!?)か、あるいは知った上で故意な小細工がなされたか、というのが今朝の時点の問題のようだ。そうさせたものは何か? きちんと問題が「検証」されることを望む。