ふるさとの空知 「ぶどうのなみだ」
先週の末、北海道の高校時代のふるさと「いわみざわ」の集まり「東京岩見沢会」があった。
例によって深夜まで、心地よいぬるま湯に浸かった。
その露天風呂にもう雪が舞い、瞬く間に純白の銀世界に変わったという!
季節の巡りが速いすぎる。
この会を楽しみにし始めてもう幾年になるだろう。毎回の一期一会、それが魅力。
今年の大収穫、もちろん、岩見沢市長賞!お米(ゆめピリカ 10kg!) 当選です! しかしそれだけではありません。
さて岩見沢会の風景を、小説風に書いてみよう(キザやろう!)
ふるさと岩見沢は、映画「ぶどうのなみだ」で沸いている。原作本が置いてある。手に取る。
「おお?!空白が多い、挿絵がアンモナイト、この装丁、最近の若者向け本のはやりかな?」
小1時間でさっと読んだ。不思議な読後感。決して重厚ではない。
苦労をして生きて来た年寄りにはとっつきにくいかもしれない。
でも空を翔んでいるような爽やかさがある。
これが最近の若者なのか?
舞台は空知、もちろん岩見沢。
でもあの雪との格闘は出てこない。
が、クロとアオとエリカ。人生の挫折と葛藤とそれ包む大自然が飛び込んでくる。
やはり映画をみたいと思った。
映画監督はどう映像としたのか。
役者はどう読み、演じたのか。
それを知りたい。
そして何よりもふるさとの風景を翔んでみたい。
我らが世代の皆さん。若返りますよ、きっと。
地質学に勤しんで来た私としては、アンモナイトを探す穴、石灰岩、ちょっと気になりますが、ま、いっか!爽やかさに免じよう。
会で配られたちらしの中に、倉本聰氏の講演案内が出ていた。彼の「獨白」を読んだばかり。
彼は、かのノーベル文学賞受賞者で反骨の人、大江健三郎の東大同級生だって!
倉本氏もNHKと大げんかで大河ドラマ脚本を降りたこちらも反骨の人だね。
彼の「北の国から」は、富良野を観光大ブレークするところまで引き上げた。彼が描いた北の大地での格闘は、「ぶどうのなみだ」とはまるで世界が違う。
自然は、富良野も空知も大きく違っていないのにこの違いはなんだ? 作者の世代?読者の世代?時代の違い?
富良野はわが母のふるさと。昨年末その母は亡くなった。
今夏、岩見沢で講演をする前に、富良野の麓郷、十勝岳界隈、そして大きく広がる碧い空と黒土の大地を巡ってきた。
帰京後、時間を作り「北の国から」を少しづつ見直している。
放映時私は30代、視野狭窄。見ていた記憶がない。
きつい、苦しい、悲しい、でも暖かい、嬉しい。ようやく「初恋’87}までたどり着いた。
主人公の純の歳、私は空知の奈井江から岩見沢へ。そして「ぶどうのなみだ」に出てくる上幌にいた。同じような心の疼きはじめる青春を思い出そう思った。
だから見に行きますよ、この「ぶどうのなみだ」