グローバル戦略(1) 定年まであと321日

 今年の日本地球惑星科学連合大会までいよいよ10日と迫ってきた。私にとって現役最後の大会。今日は午後から、大会前最後の地球惑星科学グローバル戦略委員会だ。

 この委員会、それまで国際対応委員会として国際的なお付き合い対応のため、受動的にあったもの。しかし、連合設立時の皆の思い「学問的に世界をリードするコミュニティーになろう」という視点に立ち戻り、委員会の名称も変更することを提案し合意をいただいて設置を認めていただいたもの。欧米と並びアジア太平洋地域からもきちんと世界をリードしようという「大志」をやはり遂げようという主旨。

世界人口の70分の1しかいない日本社会。かつ世界共通語からは程遠い言葉を話す社会。たかが日本国内のコミュニケーションを主とする学会が「世界をリードするコミュニティー」になろうなどという一見すると過激で無謀で、ある意味、世界からは「傲慢」とも誤解されそうな提案。


 実際に動き始めると、予想どおり期待と心配と様々な意見が押し寄せる。でも1歩、1歩、確実に進めることで未来を開くしかない。

もう一度、おさらいしておこう。まず委員会の名称の「戦略」。

戦略と戦術。

戦略と はもちろん戦争用語。戦争に勝つことを目的とした時、そのために最も本質的で重要な策略を戦略という。何も直接的な戦闘ばかりとは限らない。むしろ直接的戦闘無くして勝つことが最高の戦略だ。まず、敵をも圧倒する普遍的大義を立てる。大義なき戦争は最悪だ。そして敵と味方の動きや力を知ることからはじまり、味方の力が敵を上回る策を立て、その力をつけるために最も重要な計画を立てる。 それを戦略という。力とは、効果的な武器(道具)と有能な人(兵・軍隊組織)と物(兵站)を揃えることであるから、それらを決定的な戦闘の場面までに揃えきらなければならない。


やっぱり戦争用語はなんだかきな臭いな〜。でもわかりやすい。


グローバル戦略だから、言い換えれば世界を相手に勝つことだ。学会が掲げていることだから、学問の世界での戦いの場で勝つこと。


でも「勝つ負ける」という言葉、実は学問の世界にとって適切かどうか疑問がある。


昔、学生時代に「研究の敵を明確にせよ」と教授や先輩によく言われた。でも戸惑った。
「真理の探究」の場で「敵」って何だ? と。
「自然の謎」が敵と言われれば分かるが、どこかの国の研究者とかグループとかさる大学の学派が敵だと言われるのには、戸惑った。普遍真理の追求に研究民族主義、学閥主義を持ち込んでないかね?と。
そして、その後、研究者となった後、逆に「お前は敵だ」と言われることにも戸惑った。

「 悪く言っても意見の違うライバル。研究においては多かれ少なかれ、意見は違うのがあたり前。研究は人と違ったことを言ってなんぼの世界。好き嫌いはあっても、いちいち敵だ味方だなんて言っていたら身がもたんぞね。知的先取を巡って切磋琢磨すべき競争相手だ。意見の違いこそ、新しい発見の肥料、芽だわね、研究ってのは。人間関係と意見の違いくらいは区別しようよ」

と思ったもんだった。

最近の、論文の数だ引用度数だという成果点数主義は、研究において真理の探究と別次元の「勝ち負け」をめぐる異様な戦いを煽るが、私たちが目指すのは、それに乗せられてのグローバル戦略では断じてない。

「あそこの学会へ行けば、世界で最高のライバルたちがいるわね。行けば楽しくてしようがない。友が多数生まれ、大いにライバル心が煽られ、研究がどんどんすすむわね」というあたり前の大義において勝つコミュニティーをつくることだ。その戦略を立て、提案するのがこの委員会の任務。

(このシリーズつづきます:口調の<わね>はNHK朝ドラの影響です!)