大学動乱の時代(5) =科学ジャーナルの危機、自由vs寡占  定年まであと253日

 昨日、日本学術会議地球惑星科学委員会が開かれた。午前から夕刻まで合計6時間。
多々、議題はあるのだが、さる大学の図書館長から提起された深刻な問題。商業科学ジャーナルの購読料問題。もはや、個々の大学が支払える限界を超えている。学問の自由を支える根幹が、この国では揺らいでいる。いや、商業科学ジャーナル購読料問題は世界中の研究者を悩ましている。そして研究者の側からの反逆も始まっている。その逆転の理念はScience version2.0。
 Science version2.0とは、科学の推進において可能な限りオープン、自由な世界を実現し、近代以来長く続いた科学のあり方を根本から変えようという理念。欧米先進国で次々と手が打たれる。税金を使った研究はモラトリアムを過ぎれば、データや試料、全てオープン義務化。囲い込みは駄目。
 研究の仕上げは論文。それも基本はネットで世界中誰でも読めるオープンアクセスフリーへ(いまResearch gateなどの個人レポジトリー<あのGoogleが仕掛けてる>、機関レポジトリーを含めれば論文の半数はオープンアクセス)。図書館は不要、有料購読不要という夢の世界を現実にしようという大変革理念。自由によって叡智を持ち寄り、科学の発展を促し、それによってより豊かな世界を実現しようという理念。世界に天才は無数にいる!と。自由こそ持続的先進の策。嘘をついてもすぐバレる。では誰が論文のためのお金を払う?執筆者。それがここ10年程度の最先端の方法。しかし、ここへ来て、それもなしにしよう、と。え?誰が払う?研究の成果によって膨大な利益を生むstake holderたち、国(=国民)、企業体、大学、マスコミ、----全てが薄く広く負担するということか? 欧州を引っ張る独仏では、強力な推進がはじまっている。
いまや1つの大学では支えられなくなった商業科学ジャーナルの購読料問題(寡占化している)は、科学のフロントと「学問の自由」が切り結ぶ最先端問題である。これにうまく対応することが先進国として未来へつながる道。小雑誌乱(?)立の地球惑星科学分野にとってこれは特に死活問題。次々と購読中止の大学が広がっている現実。自由は世界を変えられるか?