追憶:私とうどんと讃岐(1) カナダにて

さて、今日から「うどん」です。
どこまでつづくか未定の連載です。他のことも入りながら、仕事がブログを書く暇もなくなれば、休んで進めます。
あらたに、ジャンルに「食」を設定しますので。それを追跡してくだされば、「食い意地」が分かるようになります。

さて、では第一回をどうぞ。

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1992年、カナダモントリオール、マイナス30度の厳冬の世界に私はいた。
25億年以上前の太古の地球を研究するために、前の年の秋からそこに滞在していたのである。


その日は、ジョンルデン(現在イギリス地質調査所・所長/当時モントリオール大学)一家を招いてのパーティー
<何を食わせようか?>
と、迷ったあげく、
<そうだ!うどんだ!>
しかし、うどんはない。
一軒しかない日本食材店の乾麺は食えたものではない。
<よし、手打ちだ!>
うどんの打ち方は、お試し済み。
汁のダシは、
<むむ、難しい!讃岐はイリコだ。しかし、相手はどうせ分からない、しかし私はうまいものを食いたい!>

さて、小麦粉。
強力粉、塩、水。
この組み合わせの割合と練り方で、うどんの腰が決まる。

それらをこね、打つ。
こねるには子供の体重で踏ませるのがいい。
まだ幼い娘に
「踏め!」
おおはしゃぎ。
そして一晩、じっくりと寝かし、当日の朝。
「おお、しっとりとなじんだな」
さて、伸ばすための棒がない。

あった!ちょっと形はいびつだが、西洋式のすりこぎ棒。
私たちは一年近くの長期滞在であったので、全家具付きの一軒を借りていた。


外はぎんぎんに「しばれて」いる。しかし、家の中は半袖で過ごせるほど暖かい。
私は、ふと10年も前に去った北海道の風景を思い出していた。

さてさて、いよいよゆでる時が来た。
沸騰させた鍋に一気に入れる。
ふわーと吹き出る。
「びっくり水」をちょっとだけ、そして湯の中の麺のゆで具合を確かめる。
出来た!

私はもう何ヶ月も「うどん」を食していなかった。讃岐でのうどんにまつわる様々な思い、人との出会いが胸をよぎった。
讃岐にいくまでの人生30年の北海道時代、「うどん」は最も嫌いな食べ物の1つであった。

<それが、自分で打ってまで食べたいと思うようになるなんてね。人間ってわからないものだ>
私のこころがそう言っていた。

うどんと私の人生は、子供時代の強烈な「うどんトラウマ」からはじまったのである。
(つづく)