追憶:私とうどんと讃岐(4)うどんと坂東先生

翌日は、大学のすぐ近くの久保製麺である。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5624/udon04.html
外から見ると何の変哲もない普通の家である。
その外に長い列ができ、外でうどんをすすっている人が大勢いる。
だんだんと近づいて来た。
「かけ、なみ、天ぷら」
とか、
「そのまま、大」
とか、注文している。
その専門用語がわからない。
「かけ」とは汁をかけること。「そのまま」とはつけ麺にするので、どんぶりの中に、そのままでいいということ。
など、森先生に教えてもらう。
私は、昨日は、つけ麺だったので、この日は汁につけたものを注文。
トッピングは天ぷら。
といってもさつま揚げである。
北海道の醤油くさい、真っ黒な汁ではない。
透き通り、ほんのり黄金色のスープである。
はじめての関西風の汁である(といってもソバしか知らなかったが)
なにやら、ぴりっとうまい!

私の舌は、うどんは食べられるもので、うまいものだと反応していた。

それから、毎日毎日、うどんを昼に食べることとなった。

春も過ぎて夏が来たある日、坂東先生が勢い良く部屋に入って来た。
「木村君!昼食いにいこう!」
「また、びっくりですか?それは勘弁してください」
「いやいや、そうじゃない!大事な相談がある」
と珍しくうどんではなく、喫茶店で食事しようというのである。
「あれ?何か変だ?」

と思いつつ、すなおに、「はい、行きましょう」
と一緒に出た。
そして、席に着くと真顔で、
「木村君、実は来年、北極へ調査に行く事になった。一緒に行ってくれるか?」
というのである。
科学雑誌ニュートン」が全面的に調査を援助するという。条件はその雑誌の記事にすること、だけである。
私は、それまで北極はおろか、外国へ一度もいったことがない。
「エ!本当ですか!!是非!」
デーマは古生代中生代の境界問題だと言う。
坂東先生は日本や世界でも数少ない、古いアンモナイト化石の研究者だったのである。

「よし!では、うどんを食べに行こう!」
「エ!今、昼食は終わったんじゃないですか?」
「うどんは別だ!うれしい時には食べないと、腹が起きんのだよ!」
巨漢の坂東先生が、席を立った。

それから来る日も、来る昼食もうどんを食べながらの打ち合わせ、準備が始まった。
土日は家族を連れて、うどん屋めぐり。

かな泉 http://www.kanaizumi.co.jp/
さぬき一番 http://www.e-sanuki.com/udon/shop/itiban/index.html
などなど、うどんの名所巡り。

そして、季節は冬になり、私はもうすっかりと、うどん通になりはじめていた。
その日は、讃岐には本当に珍しく寒い、凍てつく日で、雪が降っていた。

今日も坂東先生と打ち合わせ。
「こんな寒い日は、うどんがうまいだろうな〜」などと頭をよぎった。
その時である。
机の上の電話が鳴った。
リンリンリン
「はい、もしもし木村ですが」
「木村君!大変だ!坂東先生が!」
電話の向こうで、同僚の先生が必死で叫んでいる!

(つづく)