追憶:私とうどんと讃岐(7)宇高連絡船

霧の瀬戸内海は春の風物詩
霧笛の響く穏やかな海は、季節の変わった事をはっきりと示している。
しかし、今と違って、昔は霧の日には船も飛行機も皆泊まる。
当時は、瀬戸大橋も、ジェット機の発着する空港も四国には1つもない。完全に陸の孤島と化してしまうのである。
神戸へ行かなければならない。しかし、船は止まったままだ。
高松港でじっとただ待つしかない。
アメリカ大使館の受付は午前中しかやってない。
じりじりとしつつもどうしようもない。
やがて明るくなり、霧が晴れはじめた。

そして、「出航しまーす!」
ボーという汽笛とともに動き出した。
1時間の船旅。
岡山県宇野港から岡山まで、1時間。そして岡山から神戸までさらに新幹線で1時間。ようやく新神戸の駅である。
しかし、時計の針はすでに午後1時を示している。
出発した時にはすでに午前中に着けないことは明らかであったが、その日を逃すと行く日がないのでヤムを得ない。
「なんとかなるかな?」と思いつつ、心配しても仕方ない。
新神戸の駅を降り、三宮方面へつながる坂を一気に走り降り、息せき切って領事館へたどり着いた。
門番がいる。
「どうしました?」
「ビザを貰いにきたんですが」
「とっくに受付は終わりましたよ。午前中だけですから」
「えー、でも三時間以上かけて遠く島からやってきたんですが、どうにかなりませんか?」
「ちっと待ってください。聞いてきますから」
ようやく、息が落ち着いて来た。
「領事が、特別に許可しようと言ってくれました。良かったですね」
私は、意外とあっけなくビザを貰える事になって、ちょっと拍子抜けしたのであるが、とにかく来て良かった、と思った。
そして、窓口に若い日本人っぽい?女性が出て来た。ちょっとキレイ?
英語で「ところでこの人との関係は?知り合いですか?」と聞いて来る。
ビザの不法取得を許さないために、相手方の手紙が必要なのだ。
ところが私は彼女のacquaintanceが聞き取れない。
「え?なんですか?」
「知り合いですか?」ということです。
<なんだ!日本語できるなら最初から使えばいいじゃんか!><こうやって、ビザを取りに来る人を馬鹿にして遊んでいるのか!若いのに高慢ちきな女性だ!嫌われるぞ少しぐらいきれいでも!不幸な人生を歩むぞ!>
なんて、心でおもいつつ、ちょっとむっとする。
でも、ビザは発行され(ただのスタンプ)、それを眺めニヤニヤしながら、ゆっくりと帰路についた。
完全に1日仕事だ。

逆コースで宇野にたどり着くと、これから帰るのだということを実感する。
そして気がついた。
そういえば、昼食を取るのを忘れてた!
連絡船に乗った。
デッキに出る。1時間の船旅。天気がよければデッキが最高!
瀬戸内海の風景を眺めながら過ごすのである。はれやかに気分でデッキへでた。
見ると人の列が出来ている。
「エ?あれはうどん屋だ!」
私のお腹が、突然うなりはじめた。
そして、ようやく順番。
たんなる「かやくうどん」しかし、
「これだ!これが讃岐うどんだ!」
それ以来、旅の後四国へ帰るたびに、宇高連絡船の上で食べる「うどん」は欠かせないものとなった。
昭和63年、瀬戸大橋も出来、この連絡船は廃止となった。あのふるさとへ帰ったという温かい味のする「うどん」と共に。
橋でつながったことは大きな喜びではあったが、同時に連絡船の廃止はやむを得ぬ事とはいえ、こころの痛む寂しいことであった。

宇高連絡船歴史館HP
http://renrakusen.hp.infoseek.co.jp/

(つづく)