私とうどんと讃岐(12)四万十ことはじめ

高知の四万十帯の見学をし、強烈な刺激を受けた。
うどんは食べなかったのかって?
食べた。
高知県徳島県には、「得○うどん」というチェーン店がある。
あちこちで目につく。岡山県にもある。しかし、香川県内には一軒もない(いまは知らない。しかしやっぱりないだろうな〜と予想する)
讃岐の人でこのブログを読んでいる人がいたら教えて欲しい。予想はあたっているかどうか。
だって、そのとき高知県ではいって、「ああ〜、こりゃ駄目だ!」と。

さて研究の方、大きな話題となっている四万十帯ではあったが、構造地質学的な仕事が全くされていないことが分かった。
やりたい!しかし高知では恐れ多い。
1983年に参加したアメリカのペンローズ会議と同じ時の見学会、さらにはその時に訪れたワシントン Cowan氏の案内されたサモアン島、サンフランシスコのmarine headlandの付加体などの見学から、平氏のいうように四万十帯の露出は世界で有数だと理解していたからだ。
四国には西から東まで延々と四万十帯はつながっている。
どこがいいか。じっと地図を眺め、これまでの研究結果を調べ、ここだ!と見通しを立てた。
徳島県日和佐町赤松。

1985年、年の瀬も押し迫った年末、翌年に私のところで卒業論文をすることに四人の学生が応募した。
私は彼らの卒業論文は、ここと決めた。

1985年12月28日、彼らを連れて、その調査場所の見学に向かった。
山奥の赤松川がターゲットだ。しかし、年末にもかかわらず台風のように天気がどんどん悪くなって行く。
赤松川が大渓谷である。2〜30メートルの崖を上り下りしながら谷底に出ている岩石を調べなければならない。二人は女子学生だ。
「むむむ、結構大変だな〜」
と思いつつ、対岸へわたるのにこの渓谷に吊り橋が架かっている。
「いくぞ!」といいつつわたろうとしたが、強風で橋は横にぶるぶる揺れる。足下から透けて見える谷底が揺れる。
女子学生は足がすくんで動かない。
しかたない。今日は中止だ。天気が悪すぎる。
そして宿へ帰った。
ニュースを見ると、今日の天気は完全に台風並みであったことを告げている。
その日の嵐の強烈さは、あの鉄道ファンに有名な余部鉄橋から列車を転落させ、犠牲者を出したのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%98%E9%83%A8%E6%A9%8B%E6%A2%81

そのニュースを見て、あのときもし吊り橋から転落していたら、と、背筋に悪寒が走った。

(つづく)