第二話 奥深き満州にて(4)

食事中の人には申し訳ない。
中国式のトイレは、大も小も横一列に並んだオープンスペースである。間についたてはない。
これは心理的に大変だ。おまけに水洗ではない。男女の区別もない。
昨今の急激な発展で、さすがに北京からはそのようなトイレは消えているかに見えるが、地方では恐らくまだまだだろう。
トイレは文明のバロメータとは良くいう。日本の弥生時代と同じ時の2000年以上前のローマ帝国ではすでに立派な水洗トイレ、上下水道が完備していた。
すなわち、1980年代後半の中国東北部はそれよりもはるか以前という事である。このような地が、中国残留日本人孤児たちが置き去りにされ、現在多くの脱北者が潜む地である。
ひょっとすると、旧満州の日本統治時代の方が良かったかもしれない。
いや、そうだとしてもハルピンとか、長春とか都会だけだったろう。このようなところは恐らく変わらない。貧しさの極みの地なのだ。

いやだとか、はずかしいとか言っている場合ではない。
お腹がごろごろ、といっているのだ。
駆け込んだ!
すると、一緒に行っている同行の研究者が駆け込んで来るではないか!
また一人!
「どうした?!」
「腹が!」
唐辛子の辛みが強烈なのは、食べた時だけではない!
「うううう!!!!」
「うわー!二度辛いぞ!!」
額から油汗が浮き出る。

横からも悲鳴が聞こえる!

部屋へ転がるように戻り、
正露丸!!強力ワカモト!をくれ!!」
この正露丸という薬、戦前は「征露丸」と書いた。あの日露戦争でこの同じ満州で日本軍人に欠かせなかった薬だ。
この薬で、「下痢腹痛に打ち勝ち、ロシアを征せよ」だ。私たちは文字通り同じ経験をしていたのである。
翌朝、河野隊長を除く全ての日本人と北京から一緒の中国の研究者全てが強な下痢と腹痛に見舞われていた。
「河野さんは、ハルピン生まれだから、大腸菌が違うのかね?」などという笑い話をするにも私たちの顔が引きつっている。
「原因はあれだな。皆、うまい、うまいと食べた生キャベツ」と河野隊長
「キャベツは水で洗ったのだ。そしてその水こそ原因だ」
そういえば、毎日バスタブに張られる湯はいつも泥で濁っていた。
その同じ水で洗ったのだろう。ここの人たちは大丈夫なのだろうが、よそものは完全にアウトだ。
一斉にやられたので、あっというまに正露丸も強力ワカモトの瓶も空となった。隊長が持参した抗生物質も底をついた。それでも治まらない。やむなく、国際電報である。
後からやってくることになっていた日本滞在中の中国人留学生に「薬」をかついでくるように打電した。
しかし、たどり着くまでに1週間はかかる。
私たちはそれからほとんど飲まず食わずで、腹を抱えながら調査を続行した。
救いは指揮をとる隊長が大丈夫だった事だ。
「君たち、柔いね〜」
「違うっつうの!」
それ以来、外国へ行っても、決して生水、は口にすまい、と思った。

がー、第1話は時系列からいったらこの七転八倒の後。そして、この後の第3話も。
「人間、のど元過ぎればなんとやら」だね。こんな激烈な経験をしても。
ちなみ河野隊長は、現在、齢70にならんとしているが、いまだ東京でも一切エスカレータを使わず、階段を上る。この前どこかの外国の山にいってきたとか。
いまだに強烈に健康な人だ。

(第二話 おわり)